忍者ブログ
粉々に壊れたココロを拾い集める女たちの本音blog
カウンター
プロフィール
HN:
柚葉&焔
性別:
女性
職業:
社会人で女
趣味:
妄想
自己紹介:
濃い人生だねと言われること多し。実は、平凡・平和をこよなく愛する、怯えた子どもであることに気付き、血を吐きながら生きるふたり。
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新TB
最新CM
[09/11 八゜イ星人]
[09/04 むらた]
[05/16 太陽]
[12/22 焔]
[07/22 柚葉]
[07/18 焔]
[07/15 柚葉]
[02/02 柚葉]
[12/13 焔]
[12/10 柚葉]
バーコード
アクセス解析
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

唐突ですが、たぶん私は子どものころから「性的な対象」に見られることが多い。

らしい。

ということにはなんとなく・・・気付いていた。


決して「魅力的な女性として」とか「人間として」ではなく、

ただ単なる「性的なはけ口の対象」として、都合が良さそうに見られている.

ことが多い。


らしい。


だけど、そんな人間ばかりじゃない。
1人の人間として見てくれる人もいるし、
今はそういう友だちも少ないけどちゃんといるし、

身も心も幼い頃は、持たなくていい罪悪感に苛まれていたけど、今はそんなこともなくなってきていた。


真夏のくらくらするくらいクソ暑い時期に、職場近くの駐車場で、今時ありえないくらいあからさまな痴漢に遭った。
人気があまりない場所ではあるけれど、真夏の夕方なんて西日はガンガンで明るいし、いつも決まったメンバーしか使わない駐車場で、宝くじの当選金を現金で持っている人のようにビクビクしながら歩いている方が不自然だろう。


自分の車に向かって歩いているとき、進行方向からかりゆしウエアを着たごく普通の男がこちらに向かって歩いてきた。その時、私の後ろには駐車場出入り口に通じる階段があったので、その階段に向かうのだろうと特に何も思わなかった。

が、そのごく普通の男は、すれ違いざまに私の貧相な胸を鷲づかみにしたのだった。


しばらく何が起きたのか解らず、呆然とその場に立ち尽くした。
ほんの数十秒くらいだと思うけど・・・


今時・・・こんな明るい場所でこんな時間に、


しかも、この歳になって、こんな目に遭うとは夢にも思わず・・・



これくらいのこと、なんでもないことだと、レイプされたわけじゃあるまいし、大丈夫大丈夫と自分に必死に言い聞かせながらヨタヨタと歩き出した瞬間、私は噴水のように嘔吐してしまった・・・。キチャナイ・・・アウゥゥ・・・o(T^T)o


車に乗って運転しようと思っても、吐き気は止まらず、球の様な汗がボトボトと滴り落ちる。
あまりの激しい吐き気にめまいがして、手が震え、運転さえもできそうにない・・・。


その日は、ある仲間と酒を呑む約束をしていたけれど、どうにもならない状態だったので、なんとか断りの電話を入れ、かろうじて自宅まで運転して帰った・・・。

そして帰宅したとき、当時付き合っていた人からメールが来たので、こういうことがあって今日の呑み会はいかないで家で寝るから・・・とメールで報告したのだけど、

「なんで黙ってそんなことさせとくの?またボーっとして歩いてたんだろ?身体の線がくっきり出るような服着てたんだろ?だからお前はバカなんだよ!!!!」

という怒りの電話がすぐに掛かってきたのだった・・・。

痴漢に遭うのは「バカ」だからなのか・・・?
つーかあれは不可抗力な気がするけど、私に落ち度があるのか・・・?

イカンイカン、また暗い思考に走ってしまう。
一度暗い思考に走ったら持ち直すのが大変なのである。根暗人間は、ネガティブコントロールされやすい。


また激しい吐き気が襲ってきて、もう吐くものはないのに、その後何時間も黄色い胃液まで吐きつくしてもまだ吐き気はとまらなかった。

「残業終わったらそっち行くから」

という当時の彼の気持ちも考える余裕はなく、「もう寝るから明日にして」と言って、
その後は携帯の電源を切って、安定剤を飲んで寝た。


このことは、よく考えるとわりと私には辛い出来事だったらしく、
このときの彼の発言がきっかけで、二度と指一本触れられたくない。

と思ったのでした。


なんで今頃急にこんなことを思い出したのか?


と言いますと、


自分なりに信用して、数年間付き合いがあった男友だちに、つい先日同じようなことを言われてしまって、それが私にはけっこうショックだったらしい。のです。


「お前はまったく男ってもんを解ってない。バカの見本市だ。だからそういう目にばっかり遭うんだよ!」


と、ややキレ気味にこきやがりましたのです。


その数分前に、ヤツは急に発情して、襲い掛かってきたのです。

「何考えてんの?アホちゃうか!」

といって当然弾き飛ばし、車から引きずり降ろしました。

私は一滴も酒を呑んでいません。呑んでいたのはヤツだけです。それもほんの少し。
酔っ払った勢いならこの程度のこと笑い飛ばして済ませますが、明らかに酔ってないのはわかっているので、どうにも不快な感じがしてしまいました。大人気ないといわれればそれまでですが・・(苦笑


その後、私はヤツが笑いながら

「ごめんごめん冗談だよ~冗談」

と言ってくれるのを期待して、近くの自動販売機でスポーツドリンクを買ってヤツに渡した。


しかし待っていたのは、以前付き合っていた男たちや元・夫がさんざん言っていたような、
身勝手な男のファンタジーに染まったカビの生えたような説教だった。


女ってのは男のファンタジーを満足させるために存在するんじゃねえんだよ
いい年してそんなこともわかんないからあんたはモテないんだよ


と言ってやろうかと思ったのですが、
なんだか馬鹿馬鹿しくて、私は黙ってその場を去りました。


やっぱり殴ってやればよかったかな(笑)








今週は引きこもり週間と決めています。

経済的な理由ももちろんありますが、ごはんと酒の誘いだけはまず断ることがない私でしたが、持病のアトピー全開に加えて、思っていたよりも気分がどん底であると自覚できました。


人を信じたことが悪いのではなく、決して私が無防備だったわけでもないと今ならわかります。


人として傷ついた



ということをちゃんと自覚できてうれしい

ので、どっぷりとその気分に浸りきって、心身ともに休養したい。

からです。


アホはアホなりに一生懸命生きてるんだよなぁと、自分を誉めてあげたくなったわ。
PR
だいたいの男は、目の前にいる女を

「俺様のモノでひーひー言わせてやる」

という幻想(ファンタジー)を持っている。

幻想を抱いていた、という男も少なくないだろう。

女もファンタジーを持っていて、それをオカズに盛りがつくことはあるから、バカにする気にもなれないし責める気持ちも毛頭ないのだけど、男のファンタジーは女のそれとは少し違うように感じる。

身もふたもない現実を知り尽くした男なら絶対にそんなことはないのだけど、そこまでの経験を持つ男は、まずわたしの知る限りはいない・・・。交際範囲も行動範囲も狭いからだと言われたらそれまでだけど(笑)

誤解されないように申し上げておきますと、「女性経験が豊富=セックス経験が豊富」ということではないということです。「セックスの経験が豊富=数こなしている」でもないです。

極端な言い方をすれば、セックスに持ち込むまでのあれこれを楽しむことができて、相手の反応を見ながらときには無駄と思えるようなやせ我慢をしてでも、自分のテンションを上げながら、相手の気持ちも盛り上げながら、ふとしたしぐさだけでも相手を先走らせてしまうような・・・(これは男女共通だと思います)

そんな経験を、イタイ経験とともに積み重ね時間を経て、血肉としてきた人間が、フェロモンを放つのではないか?と思ったりもします。まぁ萌えのツボは人それぞれですからいちがいには言えませんが、イタイ経験もなく、立ち直れないような挫折も知らない人間と言うのは、なぜか薄っぺらに感じるものです。


男には男にしか理解できないファンタジーを持つのは自由だから構わないけれど、それを現実の生身の女に押し付けようとするからやっかいなのだ。ファンタジーはファンタジーとして、自分の中でだけの楽しみとしておいてくれればいいのに・・・

男のファンタジーを女に押し付けると、それは「セックス」ではなく「女の身体を使用したセンズリ」となってしまう。その感じを、女が脳みそや身体で察知してしまったらもうその男では濡れなくなってしまう。

そりゃあ女だって気に入っている男なら、たまにはそういうファンタジーごっこに付き合うのも面白いんじゃないかとは思うけれど、毎回毎回会うたび・・・セックスのたびにそれをやられちゃあ百年の恋も冷めてしまうのはしかたないだろう。


どちらかといえばやっぱり女のほうが、身もふたもない現実慣れしてるというか(笑)


今まで付き合ってきた男たちの中で一番多かったのは、

「本当のセックスの良さを知らないで色んな男とやりまくっていた可愛そうなヤリマン女に、本当のセックスの良さと"本物の愛"を教えてあげる素晴らしい俺様」

というタイプの人間だった。

意気込みはそれはそれで素晴らしいと思うしいいなと思って付き合いを始めるんだけど・・・・
なんていうか・・・女に対してありえない幻想持ちすぎっていうか・・・どうしようもない女を手なづける優越感みたいなのに浸りたいんだろうなぁ・・・みたいな感じが伝わってきて、痛々しく思えてきてしまう。

もっともイタイのは私のほうなんだけど、さらに上を行く!という感じ。

イタイ私を見下すことによって、優越感に浸れないと快感を得られないなんて、男って可愛そうなイキモノだなぁ・・と思ったり。長年水商売の女と遊びなれている男ですらこういうことがあるのだから、カタギの男ならしかたないか、と生暖かく優しい目で見守ってあげるのが女のマナーというものかもしれない。

やはり私には「気配り・優しさ」言うものが絶対的に欠けているようだ・・・・。


久しぶりに更新したらやっぱり下ネタだったな(笑)

空中に飛んで、ふっと何の痕跡も残さず消えることができたらいいなぁ

と思っている。
無駄にでかい肉体、役に立たない腐った脳みそ。
こんなもの、なんの意味があるんだろう?

自虐的になりそうでちょっと怖いわもう困っちゃう~!

フラフラ、ヨタヨタしてる。
流されてばかりいる。

常にそうだ。
足場がないんだよな、生きていくための足場。
表現力が貧困なのでうまくいえないんだけど・・・

自分がない、と言うと抽象的すぎるかもしれない・・。


自我をもっと出してもいいんじゃないの?
泣いたり喚いたり、痛いときは痛いって叫んでもいいと思うよ?
簡単なことでしょ?



周囲の人間は、親切で言ってくれているのだと思う。



いつも何度も考えてみるのだけど、自分の足に包丁が刺さって出血したとしても、
「包丁が刺さって血が出ている」
という事実は認識できても、包丁が刺さった自分の足が「痛い」んだと認識するのが難しいのだ。

「ありえない。怪我すりゃ痛いの当然でしょう?
 痛いっていうことがわからないなんて、おかしいよ」

う~~~ん・・・・ちいさい脳みそをひねって考えてみる。

例えば、私の場合、

1)包丁が刺さって血が出た
       ↓
2)床が汚れるから拭かなきゃと思う
       ↓
3)おっと、その前に止血したほうがいいかな


という順序で考える。
悲鳴を上げるとかはまずない。

自分の意志なんて持ったことない。
自分の身体は自分だけのものだということが、今は頭ではなんとなくわかってきているけれど、痛みを感じた身体をどうすればいいのか、ということがまだわかっていない。文章おかしいな・・・

今日食べるもののこと、今夜の身の安全さえも確保できるかどうかわかんないのに、自分の意志がどうとかって考えられるほど図太くもない。もともとひとつのことしか考えられないアホだから。


以前、焔も記事にしていたと思うけれど、
たぶん、決して痛みを感じていないわけじゃないと思うんだ。

だけど、その感じた痛みを表現する術を知らないだけじゃないかと。
まさにその通りだと思った。

最近再び乖離状態になることが増えているので、気をつけようという戒めのため、と
記憶をいつなくすかわからないので、ここを読み返せば
「あぁ、こんなこと考えてたのか」
とわかるようにしておこうという意味をこめて今日は日記風に書いてみた。


薬が効かなくなるってのもつらいな。。。
夏ばてのせいもあると思うが。
なんてか弱いわたし(笑)

柚葉
私は、妄想する。

貧相な想像力を働かせて、貪欲に幸せになろうともがいている自分を頭に描いてみる。
が、具体的に、幸せになるってどういうことなのかが解らないので妄想はすぐに途切れる。

何を望んでいるのか
何がしたいのか
何を欲しているのか

まったくわからない


それでも最近は、気付いたらポロポロと涙が流れていることがあって驚いた。

どこも痛くない。ケガもしていない。病気でもない。いじめられたわけでもない。



「ねぇわたしいよいよおかしくなっちゃったのかな?
 普通に生活できているのに、自分で自分を抱きしめたら
 わけもなく涙が流れて止まらないんだよ?
 仕事に支障が出て困ってる。」


不安になって仕事中にもかかわらず、焔にメールをしてみた。


「だいじょうぶだよ。
 今まで自分に感情を許したことなんてないでしょう?
 これからは自分のために心を使おうね。
 そして、今まで見捨ててきた小さな自分を抱きしめようね」

どんなに忙しくても、焔はわたしを遠くから抱きしめてくれる。


返信メールを読んでまたボトボトと涙が流れて落ちた。


粉々に砕け散って、草木一本も生えていない砂漠のあちこちに散らばっている私自身のかけらを、かき集めるような日々が、どうしようもなく辛く悲しいものに思えてきたのだった。こんなにも粉々になってしまっているものをかき集めるということは、気が遠くなるような作業だ。

ひとつぶカケラを見つけては拾って、ため息をついて座り込む。
座り込んだら次はいつ立ち上がれるのかわからない。
次のカケラを見つけるのはまたいつになるんだろう・・・と気が遠くなる・・・。


小さな小さなかけらを、必死に拾い上げようとすると、誰かがやってきて
蹴散らされる。
顔にも、頭にも、髪の根元にまで乾燥した砂がかかる。
その砂を払い落とすのも、自分でしなくてはいけない。

ねぇ焔、わたし、もう疲れてしまったよ。

なんでもないように見えるらしいこの顔も、
どんなに酷使しても壊れないムダに頑丈なこの肉の塊も、
考えることに慣れていない腐った脳みそも、
全てを破壊して、廃棄してしまいたい。


感情を認識してしまうということは、こんなにも痛く、辛いことなのか・・・
と、あまりにもか弱い自分に愕然として、全てを放棄してしまいたくなる。
わたしはわたしを止められない。


どうしようもなく、涙は流れて止まらない
体内の水分が枯れてしまうのではないかと思うくらい、流れ出てくる。


誰からも保護されず、血と膿と精液にまみれ放置されていた小さなわたしが、

お願いだから私を見つけて
私を抱いて

叫んでいるように思えるの。

抱きしめてあげたいのに、足もとは砂に掴まって動けない。


「これ以上粉々になってしまったら、欠片も見つけられなくなってしまう。怖いからずっと抱いていてね」


焔は、小さな私も、今のわたしも、抱きしめてくれる。
こうして自分以外の誰かを欲する気持ちが、こんなにも切なく、痛いものだと教えてくれたたったひとりの人間。



涙を流すことと、泣くことは別なんだろうか?
生きていればいつかわかる日がくるかなぁ・・・


投稿者:柚葉



セックスをすると、相手のコンプレックスが良く見える。
そして、あたしのそれも、むき出しになる。

セックスをすることは、とても怖いことだ。

久々の他人の肌の感触は、温かさは、あたしが封じていたものを、呼び覚まさせる。


そうだ。
あたしは昔、それをほしくてほしくて、仕方がなかったんだった。
『愛なんかなくたって良い』
そう思ってきたけれど、愛されたこともないくせに、愛ある抱擁がどんなかも知らないくせに、そう思いつめていたことがバカみたいで泣けてくる。
大事に抱かれるときって、他人の腕の中で安心できるんだ。
そう実感したとき、
『ああ、あたしは愛されたことなんか一回もないんだな』
と思い知って、悲しくなった。
子どものあたしの悲壮な決意って、まったくもってバッカみたいだ。

セックスの間、しんしんと静まり返る心を感じながら、体がどんどん心と遊離していくのに気づく。
体は眠っていた勘を取り戻し、どんどん貪欲になっていく。
心の速度と、体の速度が、違いすぎる。

相手を好きだと思えば思うほど、私はそれに悲しみを感じずにはいられない。
はじめて好きだと思った相手に、心と体を離したまま抱かれ続けるなんて。

愛があっても、
セックスの内容が似すぎていて、心がつぶれてしまいそうになる。
違うものだ。頭ではわかっている。

コミュニケーションだから、
これから作りあっていけば良いんだ。
わかってる。
ちゃんと、わかってる。

あたしの脳についたシミのような、
忌まわしい記憶の生々しさが、
絡みつくような薄汚い感触が、
あたしを縛り上げる。

逝くことで、乗り越えられはしないのだ。
何度逝こうが、
どれだけ深く感じようが、過去を塗り替えることは出来ないのだ。

目の前の人は、私の人生の『今』に登場している人で、
『過去』にはいないのだから。
あたしも彼との『今』だけを見なくては。

彼のコンプレックスが、あたしの傷を刺激しようとも、
混乱したりしませんように。
あたしは冷静に考えられるこの頭があるから、きっと大丈夫。
性の形は、二人できっと変えていくことが出来るはず。

お互いの信頼関係が築かれていく過程で、それはきっと可能なはずだ。

過去に飲まれない。
体の疼きは、現実から逃げようとする回避反応に違いない。
いとしい人に、

『幸せになりたいなんて、望んでも良いのかな?』

そうと問われる切なさを、あなたは想像できるだろうか?

私たちは生きたいかなんて考えない。
生きていても良いかなんて、問わない。
そんなことは誰に問うまでもなく、自分で決めてきた。
泥水を飲んででも、汚物にまみれても、
あたしたちは生きたかったし、生きることしか考えなかった。


生きることだけしか見えなかったし、私たちにとっては、それ以上のことを考える余裕はなかった。

しかし、いま、私たちはそれ以上のことを要求する。

私たちは、幸せになろうとしながら、生きていく。

自分の心の声を聞き、
自分の体の声を聞く。

ずっと無視してきた自分を、
自分から迎えに行って、この手で抱きしめる。

柚。
あたしはあんたと生きていきたいよ。

一歩一歩、明るいほうへ、温かいほうへ。

あんたはゴミなんかじゃない。そう扱われてきただけ。ゴミ野郎たちにね。
自分の価値は、自分で決めよう。
あたしにとってあんたは、溝の中で見つけた宝物だ。
あたしの評価だけじゃ不満かい?

体中が常に痛くて仕様がないよね?あたしも同じだ。
具合の良いときなんかないだろう?あたしも同じ。
疲れやすくて困るよね。
生きていること自体が、呼吸するだけのことが、
あたしたちにはもう、
満身創痍での、痛みの表現なんだ。

バラバラだったあたしたちの感覚を、記憶を、無理してつなごうとしなくたって良いんだよ。

大丈夫になったら、そのときがきたら、
必要なものは自然にあたしらに戻ってくるんだ。

どんなに痛くても、引きちぎられそうでも、
戻ってきた感覚がもたらす痛みは、あたしたちを殺しはしない。

新しく生きるための痛みなんだ。
その痛みは、
あたしたちを殺すためのものではなく、生かすためのものなんだよ。

怖くて、不安で、
痛くて仕方がないけれど、
あたしたちは、生きよう。
ことばの通じない人との会話は疲れるね、

と、いつも女ともだちと話しているのだけど。
この一年弱くらいの期間、何を思ったのか、私に興味を持ってくれ、なんやかやと世話を焼いてかまってくれる男の人がいた。
私の事を、好きだと言ってくれた奇特な人だった。

私は、私を好きだといってくれる人なら、求められればすぐに寝る。
それは、男でも女でも。
彼は、しばらく私を求めなかったが、数ヶ月して求められて応えた。
暴力的でもないし、たぶん普通に優しい(と思う)男で、一度も大きな声を上げたこともないし、もちろん暴力も振るわれたことはないし、子どもみたいなウソをついたりするけれど、私にはそれほど実害がないし、一人の時間を持つことを邪魔しないし、普通に対人関係を築いていけていた。と思う。

男として、というより、人として割と好きだったと思う。


親しくなると、興味を持った人間のことを知りたくなる

という気持ちは、私も最近うっすら理解できるようになってきている。
だけど、生まれついたときから、自分の意志に関係なく身に染み付いた習慣、というものが、ちらりほらりと見え隠れするらしく、彼はそのことに非常に苛立ち、最近は怒りをあらわにするようになった。

要約すると

「あんたは俺に何も求めない・聞かない」

ということが寂しい、自分に興味がないのだと感じる、というようなことが言いたいのだと解ってきた。 

だけど私には、自分以外の人間に興味を持ったり愛着を感じたり、住処やモノに執着を感じたりということがない。つまり、自分以外のことに関心がない。そのことで親しくなった人間を傷つけてしまうことがよくあるようだ。


「弱みもみせないで意地を張ってる健気な女&母」


そういうイメージを世の男性は持ちたいのだろう。


そして、


「健気な女&母を、支える俺」


という、ある種の優越感に快感を覚える男性は少なくないと思う。


私の場合、健気な女でもないし、母親としては最低だし、
何かを求めるといったら、明日のエサと住処を確保できる仕事に就けるといいなぁ・・・・くらいで、バッグが、靴が、なんて、どこの国のお姫様の話なの?ってかんじだ。


彼は、以前ろくでもない親に育てられ、辛い子ども時代を過ごしたというようなことを話してくれたことがあったが、今、いい年してそのろくでもない親と一緒に暮らしている。


ブツブツ言いながらも、自分で自分の生活を賄うことができるのに、それをしないのは、別に命に別状がないからだろう。


そして、私のように、常に命の危機に晒されることを日常として、どこに埋まっているのか解らない地雷を踏まないよう全身の毛を逆立てていなければいけないような状態に置かれたことがないのだろう。
または、そういう人間を、身近に見たことがないのだろう。


と思った。

自分以外の人間に、弱みを見せるということは、私の場合命の危機に直結する。野生の生き物が弱っているところを見せれば、すぐに他の生き物のエジキになってしまうように、物心ついてから、つい数年前までそれが普通だったから、辛いとか、苦しいなんて考えたことはなかった。

自覚はなかったが、その状態から、命がけで逃げ出したのはまだほんの数年前のこと。骨が折れていようが、肉がえぐれ血が流れていようが、にっこり微笑んで立ち上がり、普通に仕事も家事もこなす。

「そんなの人間にはできないよ。ウソつくにももっとましなウソついたらいいのに」

と嘲笑れるのが常だが、私と同じような環境で生きてきた人間は、皆それが普通にできるのだ。できない人間のほうを不思議に思う。


彼も、私の子ども時代のことを聞きたいというので、少しだけ話したことがあるが、「おおかみがきた」という少年と同じだといわれ笑われて終わったので、それきり彼には子ども時代のことは一切話さなくなった。


言葉が通じない人との会話。

というのは、私にとってこういうとき。
自分には無縁の世界で日常を送ってる人間がいるなんて、想像をめぐらすことすらできないものなのだ。
私が、「世間一般に普通と言われる生活」が、ただの作り物にしか見えないのと同じで。
(それでも最近は、カタギの世界で普通に振舞うこともできるようになったから、そういうテレビのような世界もあるんだということも、なんとなく知った)



彼は、私に対して暴力的な振る舞いや言動をしない。
今の住処には、可愛い子どもたちとネコがいて、私は眠っている間首を絞められるとか刃物で刺されるとかレイプされるとかいう心配のない、貧しいけれど平和な生活を送れている。

それ以上に求めるものなんて今のところないから、不満もない。
それだけのことなんだけど。

どんなことでもいいから、昔のことも話して?
という彼の要望に応えてちらりと話したことについて、

「おおかみがきた」

といって騒ぐ少年と私は同じだと言った彼とは、もう仲良くできないな、と思った。

カタギの世界での対人関係を学ぶために、付き合いを続けてきたけれどやはりことばの通じない人間とでは疲れきってしまう。
下品な言葉をつかうな!といって切れる彼を、きょとんとして見ていた私に、怒りでなく哀れみのまなざしを向けた彼。


彼のほうもこんな私に疲れてきてるようだから、潮時だな、と感じた。


リアルでの友だちがいないからここで思うままつぶやいた。
疲れた。
薬効いてきたから寝ます。

子ども時代を子どもとして過ごせなくて、
イイコでいるのに疲れて、ワルイコになって、
それでも大人は見つけてくれなくて、眉をひそめられて、
どんどん悪いこの仮面は顔から剥がれなくなって。

でも、本当はイイコだから、親に迷惑をかけないように親元から出て、ひとりで生きてきた。
そんな女の子が、若さを失う頃に、現れることがある。

「水や風俗のコは、ココロの病気をもちながら頑張っているコ、いっぱいいますよ。」

あぁ、そうだろうねと思いながら聞く。
オトコに寄りかかりたくなることも責められやしないさ。しかも、出会いがまともである確率は、普通よりさらに低いのも当たり前じゃないか。

がんばり続けて、これからもがんばることを当たり前だと思っているあなたを、差別なんかさせるもんかと思う。がんばるベクトルを、違う向きにしていくことはできる。望むなら。
同じようにがんばり続けて、突っ張り続ける友達に、道をつけてあげて欲しいと願う。


女で金を稼ぐことは、
しかも、他人のためにそれを使って飯を食うことは、
生活費のためにマンコ使うことは、
心をゆっくり壊していく。崩していく、溶かしていく。

あたしは人間で、女の人で、主体性を持って、感情を持って生きていて・・・・
そんなことがどんどんわからなくなっていく。
言葉の意味もわからなくなっていく。言葉を単なる音と識別できなくなっていく。
ただの入れ物、商品、
胸とマンコだけの変な生き物のように思えてくる。

自分を大切に?
大切にしてたら生きられない状況にいたことってないでしょ?

自分を尊敬して?
尊敬ってなんだっけ?

自分がどうしたいのか考えてみて?
脳みそ使ったことがないから、「考える」とか無理なんですけど。

好きな人ができた時、後悔するよ?
あははは。今日生きていくことしか考えられない人間に、将来の話してどうすんだよ。

でも、今できることに必死でしがみついて生き抜いても、若さがなくなったら廃棄される。生き抜くには必死さだけでは足りない。戦略が必要だ。
心を閉ざさずにはいられないほど、蝕まれているのなら、別のスタートを切ったっていい。他人の手を借りて。


かつてのあたしが、生き直したように。

私をリアルで知っている人も、ネットでしか知らない人も、わかると思うけど。

「痛い」人間だと思う。

数年前までは自覚なんてなかった。まったくなかった。

対人関係で躓くのは、痛みを知らない(=認識しようとしなかった)から、自分以外の人間の気持ちを慮るという大切なことが、できないから。というのが一番大きな理由かもしれない。

人間は、知らないことはできない。

どんなに微笑んでも、人を批判することをしなくても、私は人を傷つける。
何も考えず発した言葉で、人を傷つけてしまう。
気付いたときはもう成人過ぎたいい年になってしまっていた。

私がよく使う言葉で、『他人』という単語があるのだけど、これに深い意味はない。
血の繋がった子も、元夫も、きょうだいも、肉体関係のある男も、おんなともだちも、皆他人。
これは、ただ「自分以外の人間を指す」だけのことなのだけど、この単語に不快感を持つ人間が多いということも、私にとっては驚きだった。

自分以外の人間とどう繋がっていればいいのかわからない。
距離感がつかめない。
解らないから、いつも2歩も3歩も退いたところからの目線でしか見られない。
特定の人間との、濃い人間関係に息苦しくなり、逃げ出したくなる。

これくらいならいいのか、
どの程度なら許されるのか、
試行錯誤しながらの日々に疲れ切ってしまう。


それでも、1人では生きていけないイキモノだということに気付いてしまった。

疲れてしまって、うずくまって、何もできなくなり、この世から消えてしまいたい!

と、頭を抱える日はまだまだ多いけど、生き抜くことを選んだ以上逃れられないんだなぁ。

今日もオチのないつぶやきだな。(笑)



柚葉

あたしは明るいことを企画したり、楽しいことをしたりすると必ず揺戻しが来る。

前向きに明るく生きていくつもりだよ。だからこその、定期的に後ろ向き発言。

楽しいことを考えたりするのをやめた時期は分からない。物心着いた時には、何が楽しいかも何が好きかも分からなかった。「遊び」が苦手だった。すべきことが見えず、自由にしていいといわれると混乱した。
いつも自分には用意された役割があり、それは沈黙の中から感じ読み取るものだった。そうしなければ必ず懲罰を受けた。すべきことができないことは、あの環境下では悪だったからだ。あたしはその規則を受け入れたわけではないが、意識もできないうちに染み込ませてしまった。

脱出して自由を勝ち取って何が一番困ったかって、失敗したときに罰してくれる人がいなかったことだ。罰がこない。それはすなわち、「いつ罰されるかわからない」ということだ。「罰されない」という選択肢はあたしにはない。つか知らない。
何度もパニクって、自傷というか、無差別テロを起こして。だらだら血を流しながら、それでも恐怖はぬぐえなくて闇雲に逃げ回った。

楽しんでもいいんだ~って、気付く度にちょっと悲しい。

罰なんか下らないぜ。楽しいこと、たくさんしよう。何が楽しいのか、一緒に探そう。
自分の中にいるちいさいあたしに繰り返し呼びかける。

忍者ブログ [PR]