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粉々に壊れたココロを拾い集める女たちの本音blog
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柚葉&焔
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社会人で女
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濃い人生だねと言われること多し。実は、平凡・平和をこよなく愛する、怯えた子どもであることに気付き、血を吐きながら生きるふたり。
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私の片耳は難聴であるにもかかわらず、ある種の音や声には過敏なほど反応してしまう。
酔っ払いの男のダミ声、威圧的にキャンキャンしゃべる女の声、ドアをバタンと強く閉める音、食器をガチャガチャいわす音などで、パニックを起こす事がある。
その様子は、まさに『発狂する』という言葉がふさわしいかもしれない。

小学生の時、パニックを起こしたら、うずくまり動けなくなってしまうので集団行動に支障をきたす。
担任は、集団と同じことができない私を罵り、よく殴った。

「このきちがい!」

「カタワめ!」

「精神障害者め!」(←これはあたってるけど)

教師という職に就いている人間は、差別用語を平気で口にする人間が多かった。
私は、小学生の間、『被差別部落』と呼ばれる地域に住んでいた。
その被差別部落でも差別を受けていた。
なぜかというと、私の家は昔からそこの住民だったわけではなく、たまたま知らずにその被差別部落がある地域の借家の家賃が安いから、という理由で引っ越してきた『ヨソモノ』だからだった。

町内会(自治会)にも入れず、回覧板も私の家だけ飛ばして回す。
だけど、町内会長のじじぃは、「かわいいかわいい」と言って、私の身体を触ったり、レイプした。
町内の子ども会にも入れず、集団登校のときには、車道に突き飛ばされ車に轢かれそうになったり、「お前は部落の子じゃないだろ」と言ってリンチを受けた事も何度かあった。
着ていた洋服はびりびりに破れ、顔は腫れてアザになり、学用品や文房具なども取り上げられたりした。
家に帰って親にそのことがバレると、さらに責められるのだった。

「貴様はなんでやり返さないんだ!今からそいつの家に行ってやり返して来い!」

と言われた。「やり返してくるまで帰ってくるな!」とも。

もちろんやり返すなんてことはできなくて、いつまで経っても家に帰れず夜中までフラフラして、結局警察に保護されるという繰り返しだった。
警察で住所を聞かれ、住所をいうと、

「あぁ・・・あの部落の子なのか・・・」

と顔をしかめて苦笑しながらため息をついた。
当時は警察も立ち入れないような地域だったらしい。

いろいろありすぎて思い出せないが、「部落」と呼ばれてる人たちの生活は、とても裕福だったような気がする。うちは本当に貧しくて、給食費が払えなかったりなんてしょっちゅうだったし、私は一学年上の兄のお下がりのダボダボの洋服を着ていて、新品の洋服などは買ってもらったことはないし、家の食事は両親の酒の肴がおかずだったし、小遣いというものももらったことはなかった。

当時、家に車があるのは、自営業の家とか、税理士とか弁護士など裕福な家の子しかいなかったのだけど、「部落」の人の家にはほとんど車があったし、その子ども達もいつも小奇麗な洋服を着ていて、女子は可愛らしいキャラクターのついた文房具や小物をたくさん持っていて、皆からうらやましがられていた。

部落の中で差別を受けていたのは私だけでなく、実父も養母もそうだった。
実父も養母も『部落の人間はこれだから・・』『やっぱり部落のヤツらは家畜以下だ』などと、いつも近所の悪口や愚痴を垂れ流していた。
そして、親のうっぷんは、私に集中して注がれたのだった。

「おまえなんかこの『部落の子』になってしまえ!」

とよく言われたものだ。
それでもいいと思っていた。
テレビで見た外国のストリートチルドレンのような生活でもいいと思った。
私は、毎日寝ても覚めても罵詈雑言を吐かれ、殴られる生活はうんざりしていた。
地域のホームレスのたまり場とされていたところに、数日隠れていたことも何度もあった。
学校へ行かなくても良い、家で理由も分からず殴られなくてもよいなら、ホームレスになってゴミ箱あさっているほうがどれだけましかしれない、と心底思っていたのだ。

「差別」をする大人を身近に見て育っている子どもは、自然と「差別」することを身に着けてしまう。
そのことに気付かず大人になっていく。
私は「底辺の人間」と周りの全ての人間から蔑まれて育ったので、自分はそういうものだと思い込んでしまって、あきらかな差別用語などを吐かれても何も感じなくなってしまった。
だが、自分以外の人間に「差別」をしている人間には、非常に過敏になった。

「被差別部落」で育ち「被差別部落」でも差別を受け、学校でも家の中でも差別を受け、まったく自分を受けれてくれる場所を持たずに人格形成期を過ごした場合、私のような人間ができあがるのかもしれない。
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我が家のふたりの子どもは、それぞれタネが違う。
もっと解りやすく言うと、(生物学上の)父親が違う。

長女の父親だった人とは、15年くらいまえに別れたけど、一応戸籍上婚姻関係にあったし、初めての子のタネを頂いたということもあって、人に話すときは、彼のことを『元夫』と呼ぶ。

それから数年しか長女の父親だった人とは交流をしなかったし、養育費も一切もらえなかったので、それほど憎みあって別れたわけでもないが、私の記憶の中にほとんどいない。

私は、付き合いのある人間でもすぐに存在を忘れてしまう、目の前にいる人間の事だけ、そのときだけしか認識できない、というクセがあるようだ。普通だと思ってたけど、違う場合もあるらしい。
なので、元夫にそっくりな子どもの顔を毎日見ていても、その存在をすっかり忘れてしまっている。

初めての結婚後、婚姻解消の手続きのめんどくささに懲りた私は、次女の父親とは、戸籍上婚姻関係を持たず出産した。おかげさまで、次女の父親と別れるときは、それなりにスッタモンダしたが、法的な手続きなどが不要だったので、とにかく逃げ切るという方法だけで済んだのが本当に良かったと思う。

で、今だに次女の父親のことを便宜上だけとはいえ、『元夫』と呼ぶことにものすごく抵抗がある。
いくら戸籍上婚姻関係がなかったとしても、子を作り、何年か生活をともにし、事実上夫婦として周囲からも認められていたのだから、次女の父親のことも『元夫・前夫』と呼んでもおかしくないだろうと思うのだけど、どうしても私にとって次女の父親のことを『元夫』という表現ができない。
子どものタネを頂いた『次女の父親』としか表現できないのだ。

別れた人間なのだから、どう呼んでもいいのだろうけど、なんだか小さいことに私はこだわってしまう。

うすぼんやりと理由らしきものを考えてみた。

私は、ふたりの『元夫』たちのことを、『子どもの父親である』という以外の存在価値をまったくといっていいほど認められなかった。私自身周りの大人や関係を持った異性たちから、セックス奴隷としての価値以外はない、と言われそういう扱いしか受けたことがなかったので、お互い様で、まったく普通のことだと思っていた。
私にとって手に入れることのかなわなかった『家族』とは、私を筆頭に、ふたりの子どもたちだけ、であると思っていて、何年経っても元夫たちのことを家族として認識することはできなかった。

生活上&人生の上で私のパートナーとして、異性としてさえも認識しておらず、子どもがうまれたとたん彼等との性行為はもう非常に苦痛なことでしかなく、私は、子どもの父親としての役割を1~2割程度果たしてくれれば、私以外の女性とどんな関係を持っても構わない、と思っていて、よくそのことで不思議がられたり責められたりした。
(ま、実際次女の父親は私以外の女ともセックスを楽しむタイプの男だったので、私にとってとても楽な相手ではあったが、嫉妬しないとキレるというめんどくさい男でもあった。異性に嫉妬するという感情が実はよく解らないので、いつも次女の父親は切れていた)

たとえ何年か一緒に暮らして子どもを作る関係であったとしても、私にとって【自分以外の誰か】が自分にとって【特別な人間】になることはなかった。

私は、肉体関係を持った相手も、そうでない相手もまったく区別ができないので、次々に色んな男と関係を持ってしまってそれで大変ややこしいもめごとを起こす、ということを繰り返しているけど、どんなに大変なことになっても、『私の身体は私だけのもの、私の気持ちも私だけのもの』という考えは、徹底して変えられないというのが根底にある(と思われる)ため、どうしてもこの良くないと思われるくせは変えられない。

私にとってふたりの元夫とは、ひとりでは不可能な【妊娠】に必要なツールでしかなく、その望みを果たしたらもう不要になったツールとして破棄すべきもの、と脳みそが認識してしまったようだ。

今、関係を持っている異性たち(常に複数(笑))に対しても、わけへだてなくなんでもかんでも受け入れているようで、あんたは実は誰のことも受け入れない、自分の領域には絶対入らせないんだよな、と知り合いに言われた。なるほどな~と思った。


私の目の前には、分厚い防弾ガラスのようなものが常にあって、どんなにたくさんセックスをしても、たとえ毎日会って甘い言葉を吐こうとも、そのガラスのこちら側に相手を入れることは絶対ない。
この分厚いガラスのようなもの、の距離を心地よく考えてくれる男、またはあまり気にしない人とはつかず離れず関係は続くけど、ガラスのこっち側に入りたがったり無理やり侵入してきて独占欲などで縛ろうとする男とは、どんなに付き合いが長かろうと、その関係をズバっと断ち切る。その際、周りに多大な迷惑をかけることがあるが、非常にややこしいうっとおしいことになっても、手段は選ばず、自分の意志を貫き通す、という頑固さが私にはある。はた迷惑な人間だ。

どうでもいいけど、いや良くないが、次女の父親は、別れて何年も経つ私のことを
『うちの女~』 『うちのヤツ~』
と人に説明するのだけど、これが死ぬほどいやなのだ。この呼び方は、次女の父親の口癖みたいなもので、私の前に婚姻関係を持っていた彼の元妻のこともそう言っていたので、深い意味はないらしいが、私の事だけはそう呼ばないで欲しいと心底思う。

男の独占欲とは恐ろしいものだということを幼い頃から嫌と言うほど知っている私は、別れたあとも私物扱いされているようで、鳥肌が立ち、吐き気がするほど嫌なのだ。

私にとって、彼等は『子どもたちの父親であること以外まったく存在価値がない』という認識しかできないのもどうなのそれとは思うけど、なんというかもうこの性分は変えられそうもないのでしょうがない。
どんなに彼等が不誠実なことを私に対してしたとしても、子どもを授けてくれたという紛れもない事実があるのに、私はふたりの元夫を最後まで『特別な関係の異性』として認識はできなかった。

私にとって他者との関係は、『自分』と『自分以外の人間』というふたつのカテゴリしかない。自分で産んだ子どもも、20年前から付き合いのある友人も、数年前からの知り合いも、つい最近関係を持った人も、全て同じ『自分以外の人間』でしかない。

でも、最近『自分以外の人間』の中に、『繋がりを途切れさせたくない人』というサブカテゴリができたことに驚き、密かに喜んでいる。


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