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粉々に壊れたココロを拾い集める女たちの本音blog
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柚葉&焔
性別:
女性
職業:
社会人で女
趣味:
妄想
自己紹介:
濃い人生だねと言われること多し。実は、平凡・平和をこよなく愛する、怯えた子どもであることに気付き、血を吐きながら生きるふたり。
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生きていることを罪悪に感じながら、日々を送る。

それが私の普通の状態だった。
そのことをきちんと自覚していたわけではない。
自覚して、脳みそで自分の存在を罪悪に感じている、私はなんて命根性が意地汚い人間なのだろう・・・と言語化できたのは、きっと20代に入ってからだったと記憶している。

記憶のある限りでいう子どもの頃、

「どうして私は生きていてはいけない人間なのに生きているのか?」

と、ただ不思議に思っていた。もちろんそう思わざるをえない状況下で成長期を過ごしたから、だと今は解る。いや、洗脳されてたんだろうね。
自分の意志を持つことを許されず育った人間は、「心のありかた」さえも自由にできないし、知らないから、それを疑問に思うことさえしない。


私はまだおむつもとれないような幼い頃から、変質的な性癖を持った複数の男たちに弄ばれ、放置されるという行為を繰り返し受けていた。そういう変態男たちのエジキになっているということにさえ長く気付かずにいたのだから。

10代半ば、義務教育を終えた私は、朝の7時から夜中の3時まで毎日働いた。
16歳のときにはすでに月収は50万を超えた。


男に飼われなくても生きていけるやん!

と確信を持った。


どんなに酷使しても壊れない肉体と、何をされても感じない凍りついた心臓、考えることを完全に放棄してしまった脳みそ、この三点セットが私の最大の武器だった。何も考えたことも、恐れたことも、迷ったこともなかった。

だけど、働けなくなる(仕事を失う)=明日のエサを調達できない、なので、それだけは恐怖だった。
このあたりから、生きることに対する執着心は凄いものがあったんだろうなぁ。

仕事はいくらでもあったし、仕事は裏切らない。そんな時代だった。
なりふりかまわず働けば、その分金銭という目に見える見返りを手に入れることができた。それは私にとって、初めて自分の意志で手に入れることのできたものだったから、何があっても働くことをやめたくなかったし、金を稼げない人間になるなどということが、絶対に許せなかったのだった。

成人してすぐ、初めての妊娠を経験し、自分の稼ぎがない状態に置かれた私は、精神状態があきらかにおかしくなった。当時の配偶者は、安月給の普通のサラリーマン。贅沢しなければ充分暮らしていけるだけの収入があって、別に無理して私は働かなくてもよかった。

だけど、自分自身が今は金も稼げない人間なのだということを認めるのが、恐ろしくて恐ろしくて、わけのわからないことを口走ったりして配偶者を困惑させた。
夜は自分の体の中に宿った子どもを殺す夢を数え切れないくらいみては怯え、昼間は自殺する妄想を暴走させて、臨月を迎えた。

仕事をしていればその職場ではとりあえず「自分はまだ生きていてもいいんだ。金を稼ぐという生産性のあることをしているのだから」と、必死に我が身に言い聞かせることができる。が、金を稼げない自分の存在を、許すなどという高度なことは、全くできなかった。


子どもが生まれ、私は完全に狂った。
記憶がない。ただ、生きて産まれたものを生かしておく、その執念だけで数年を過ごした。
我が子に笑いかけることもしなければ、食べ物を味わうこともしなかった。


狂った笑いを子守唄に、栄養失調で母乳が出なくなった乳房をおもちゃがわりに握り締めながら、私の子どもは目を見張るような力で生き延びた。


「廃人でも何でもいい。何もしなくていいから、ただ生きていて」


そう声をかけてくれた人間がいた。

狂っていることに気付くこともできず、認めることもできず、
真っ黒な、ヘドロのぬかるみが底に溜まったブラックホールにズッポリはまって、自力で抜け出すこともできなくなったとき、私の体と脳みそは一度完全にぶっ壊れた。ぶっ壊れたらもう、狂っている自分を認めざるをえない。狂った私の手を、だまって握り続けてくれた人間がいた。私は、その手を、振りほどこうとしたこともあるし、見えないふりをしたこともある。

だけど、その手は、何年経ってもずっと私の手を握り続けていた。
その手は、熱かったり、冷たかったりしたけれど、変わらずそばにあった。

私は男とも女とも、誰とでも寝る女だが、その人だけはセックスの対象としてみれなかった。


血まみれの、傷だらけの、ヘドロまみれの、私の手を、焔は離さなかった。



今も私の体には、無数の傷跡がある。
その傷跡は、かさぶたがはっているものもあるが、まだ時々自分の手で剥がしたために、血膿が滲む傷もあるし、新しくできた傷もある。肉をえぐりとり、骨までもが剥き出しになったような傷を、にやにやと眺めるのが日課だった私が、今、自分の体の傷を、消毒している。

この行為は、

「自分がこの世に存在することを許した行為」

なのだと最近は思っている。
血を流さずには生きられない、生きることは終わることのない戦い、でも、私は生きることを選んだ。


投稿者:柚葉






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