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今日は自分の立ち位置を確認するために文章を書いておくことにする。
面倒なことだが、これを定期的にしないと混乱が広がりいろいろと不都合が出る。内部に毒が流れている人間は、こうして現状把握をせずに毒を外部に漏らさずにいることができない。←愚痴
「飢え」という単語は、私という人間を表現するキーワードの一つだ。
ひりひりした乾き、焦り。怒涛のように押し寄せる衝動。自分の思い通りにいかないことへの怒りと暴力性。
行き場を持たない黒い気持ちが、この「飢え」によってもたらされる。
私と、私の友人知人たちが持つ最大の「飢え」は、「原初の愛」だった。
産まれおち、当然のように抱きあげられ、親という人たちに継続していつくしまれる。それがなかった。捨てられたり、放られたり、虐待された。とにかく人間として迎えられなかった。
「飢え」というのは、生命の危機である。生命を維持することは、生き物の本能だ。つまり「飢え」という状況は、トラウマになりえる。
住むところがない、食べるものがない、衛生状態が悪い。
そして状況を許しているその根幹に、周囲がこちらに無関心であることがある。救いがない。
「飢え」を抱えたままだと、視野が狭くなり判断を誤る。
そんな自分の経験を踏まえて、子どもたちに安心で安全な養育環境を与えたいと願ってきた。そういう活動をしたいと思った。しかし、途中で気づく。
社会が、私たちの基本的な生活を保障することを放棄しはじめている、と。
私がこの職場にとどまっていることの意味、成人女性に寄り添うグループを立ち上げた意味はそこにある。「飢え」は、今格段に広く蔓延している。大人、が動かないと、現状を変えられないからだ。
安心して、安全に暮らしていくことは、当然の権利だ。
それは、赤ん坊が空腹を満たして眠りに落ちる安心感を想起させる。「満ちている」ということは、心に平安を生じさせる。そしてゆっくりと正確な判断を下すことができる。
日々の生活に怯え、先の見えない不安定さの中で暮らすことは、心と体を蝕む。
それしか考えられなくなるから、思考力も奪う。空腹や、明日もわからぬ生活は、ぶつける先を吟味できない激しく性急な怒りとなる。周りのより影響を受けやすいもの、弱い立場の者が、もろにかぶりやすくなる。
私たちのいる社会は、安心ができるものではない。
私たちは、遺棄されている。一部の人を除いて、遺棄されている。
個別の幸せを考えたとき、いつもぶつかる壁があるのは、そのためだ。