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昔・・・・結婚していた相手は、多分ごく普通の男だった。(と思う)
どうして結婚にまで至ったのかはっきりとは覚えていないが、たぶんお互い若くて、ある意味怖いもの知らずで、世間知らずで、でも一人では生きていけない自分を持て余してて、何かを貪るように一緒に暮らし始めたのだったと思う。
付き合って一年ほど経過した頃、私は晴れて成人となった。
義務教育終了と同時に生まれ育った家を飛び出し、年齢をごまかし水商売をしながら暮らしていた私は、結婚相手と知り合った頃、絵に描いたようなろくでもない男と暮らしていて、どうにかしてそこから逃げ出したかったのだ。
それともうひとつ理由があった。
結婚をすることによって、戸籍上の親と一切の縁を切ること、が最大の目的だった。
成人したら親の許可なく結婚ができる。
本籍地も変更できて、相手の戸籍に入籍するという一般的な形をとれば、私はもう生まれ育った家の戸籍から離れることが出来、戸籍上の親がいる地獄のような家に帰らなくてもよい、そう思っただけで喜びに打ち震えた。
「お前と一緒に暮らしたい。毎日一緒にいたい」
そんなふうに言ってくれた男の言葉を何の抵抗も無く受け入れ、あっさり結婚した。
相手の両親は普通のサラリーマン。おとうさんはちょっと酒にだらしない職人さん、おかあさんはバリバリのキャリアウーマンでさばさばしてて優しい大人の女性だった。祖父祖母も健在で、かわいい妹もできた。
私達は結婚してからすぐに子どもを作った。
彼は、「しばらく2人でラブラブ生活がしたいよ」と言ったが、私自身が強く願って子作りした。
子どもを作ることによって彼を繋ぎ止めたい、という気持ちはなくて、私自身が
「子どもを作ればもう他の男にフラフラしたり心が揺れたりせず、覚悟ができるだろう」
と思ったからだった。
子どもを作るという行為を「自分自身の決心をつけるため利用した」のだ。
彼は、そんな私の気持ちを薄々と感じていたのかもしれない。入籍して私が妊娠した為仕事を辞めると、過去のことを根掘り葉掘り聞きたがるようになった。それはそれはしつこく・・・。
こういうことってよくあることなのだろうか?
いつもその場しのぎの甘い言葉だけでヘラヘラ生きてきた私には、解らないことが多々あった。
「昨日は確かにあなたのこと好きだった。でも、今日はあまり好きじゃない。」
そう言った時の彼の表情が、なんともいえない、見たこともないような複雑なものだった。
昨日は確かにお互いの気持ちを確認しあった。絆を感じた。お互い愛情も感じられた。でも、それがどうして次の日も継続していて当然、昨日の続きは今日なのだから今日も昨日と同じ気持ちでいられると思っているのかが信じられない・・・というか、理解できないのだ。
特定の人間に、特別な感情を抱く・・・愛情を感じるという経験を持たない私には、心とか気持ちとかに執着したがる彼の気持ちはまったく理解できなかった。
ではなぜ結婚生活を続けるのか?と問われたとき、何の躊躇いもなく答えた。
「私は結婚することによって実家と一切の縁を切れるというメリットがある、あなたは、毎日私とセックスして一緒に眠りたいという気持ちを満たすことができる。お互いの希望が叶ったんだからいいじゃない?」
私は、男の欲望にはかなり忠実に応えることができるセックス人形だと自覚していた。
何人相手がいても、それぞれの希望に合わせて反応することができる。
そうすることで男は私を可愛がってくれる、必要としてくれるということをわかっていた。
だけど、それに付随する「特別な感情」については、未体験で無知だったため、私をセックス人形として可愛がってくれていたはずの男達は、怒り出したり、呆れたりして離れていく。そういうものなのか、思った。
思っただけでまったく自分を変えることもできなかったが・・・。
「自分以外の人間」に特別な感情を持つための訓練は、生まれたときから受けていない。
人は学習(経験)していないこと以上のことはできないもんだ。少なくとも私はそう。
人間は、生まれたときから「自分だけの特別な大人」の存在を感じながら育つものらしい。
「自分だけのための大人」は普通は「生物学上の親など血縁者」であることが多いらしい。
そういう人間(家族と呼ばれるもの)と接しながら、自尊心や命ある生き物に対する「特別な感情」を学んだりしながら生きていくらしい。ということを調べているうちに知ったのは、つい数年前のこと・・。
まれに機能不全家庭や養護施設などで育った場合、一般的に「知っていて当然」とされる特別な感情を知らずに育ってしまった人間がいるらしいということも数年前しることができた。
「愛着障害」 というらしい。
彼は、それでも実に根気良く私に色々なことを教えてくれた。
子どもが生まれる前も、生まれた後も、時々普通でない私の精神面を、それなりにフォローしてくれていた。
機械的にしなくてはならないことを淡々とこなす、ならできる。
だけど、命あるものに対して「愛しさ、情愛」を感じることの無い私との生活は、(たぶん)普通の家庭で育ってきたと思われる彼にはついていけない、あり得ないということの連続だったようで、憔悴していくのがわかった。
私は、小さな頃、自分がどんな風に育てられたか、という記憶をほとんど持っていなかったので、過去のことを根掘り葉掘り聞かれるのは本当に苦痛で、わざとはぐらかしたり隠したりしているわけではない、ということを何度説明しても理解してもらえないことも辛く、自分を責めて責め抜いて、お互い普通の精神状態ではいられなくなってしまった。
彼は、時間をかけて分かり合おうと努力してくれたのだろう、と今は思う。
あの若さで、私のような重い荷物を背負わされた精神的負担は、普通ではありえなかっただろう。
私たち夫婦の仲で唯一繋がっていると感じられる瞬間は、セックスしているときだけだった。
彼がどう感じて、私を求めていたのかはよくわからない。
でも、今でも時々思い出す。
「どんなに抱きしめても、お前の心が俺のほうを見てたことは一度もないよな・・・・」
ずいぶんあとになってから、彼の発した言葉の意味を考えた。
私は誰でも何でもお構いなしに受け入れているようで、誰のことも受け入れていないのだということに気付くまで、10数年かかった。
私は、誰も見ていない。何も見ていない。ガラスの眼しか持たない人形だったから。