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らしい。
ということにはなんとなく・・・気付いていた。
決して「魅力的な女性として」とか「人間として」ではなく、
ただ単なる「性的なはけ口の対象」として、都合が良さそうに見られている.
ことが多い。
らしい。
だけど、そんな人間ばかりじゃない。
1人の人間として見てくれる人もいるし、
今はそういう友だちも少ないけどちゃんといるし、
身も心も幼い頃は、持たなくていい罪悪感に苛まれていたけど、今はそんなこともなくなってきていた。
真夏のくらくらするくらいクソ暑い時期に、職場近くの駐車場で、今時ありえないくらいあからさまな痴漢に遭った。
人気があまりない場所ではあるけれど、真夏の夕方なんて西日はガンガンで明るいし、いつも決まったメンバーしか使わない駐車場で、宝くじの当選金を現金で持っている人のようにビクビクしながら歩いている方が不自然だろう。
自分の車に向かって歩いているとき、進行方向からかりゆしウエアを着たごく普通の男がこちらに向かって歩いてきた。その時、私の後ろには駐車場出入り口に通じる階段があったので、その階段に向かうのだろうと特に何も思わなかった。
が、そのごく普通の男は、すれ違いざまに私の貧相な胸を鷲づかみにしたのだった。
しばらく何が起きたのか解らず、呆然とその場に立ち尽くした。
ほんの数十秒くらいだと思うけど・・・
今時・・・こんな明るい場所でこんな時間に、
しかも、この歳になって、こんな目に遭うとは夢にも思わず・・・
これくらいのこと、なんでもないことだと、レイプされたわけじゃあるまいし、大丈夫大丈夫と自分に必死に言い聞かせながらヨタヨタと歩き出した瞬間、私は噴水のように嘔吐してしまった・・・。キチャナイ・・・アウゥゥ・・・o(T^T)o
車に乗って運転しようと思っても、吐き気は止まらず、球の様な汗がボトボトと滴り落ちる。
あまりの激しい吐き気にめまいがして、手が震え、運転さえもできそうにない・・・。
その日は、ある仲間と酒を呑む約束をしていたけれど、どうにもならない状態だったので、なんとか断りの電話を入れ、かろうじて自宅まで運転して帰った・・・。
そして帰宅したとき、当時付き合っていた人からメールが来たので、こういうことがあって今日の呑み会はいかないで家で寝るから・・・とメールで報告したのだけど、
「なんで黙ってそんなことさせとくの?またボーっとして歩いてたんだろ?身体の線がくっきり出るような服着てたんだろ?だからお前はバカなんだよ!!!!」
という怒りの電話がすぐに掛かってきたのだった・・・。
痴漢に遭うのは「バカ」だからなのか・・・?
つーかあれは不可抗力な気がするけど、私に落ち度があるのか・・・?
イカンイカン、また暗い思考に走ってしまう。
一度暗い思考に走ったら持ち直すのが大変なのである。根暗人間は、ネガティブコントロールされやすい。
また激しい吐き気が襲ってきて、もう吐くものはないのに、その後何時間も黄色い胃液まで吐きつくしてもまだ吐き気はとまらなかった。
「残業終わったらそっち行くから」
という当時の彼の気持ちも考える余裕はなく、「もう寝るから明日にして」と言って、
その後は携帯の電源を切って、安定剤を飲んで寝た。
このことは、よく考えるとわりと私には辛い出来事だったらしく、
このときの彼の発言がきっかけで、二度と指一本触れられたくない。
と思ったのでした。
なんで今頃急にこんなことを思い出したのか?
と言いますと、
自分なりに信用して、数年間付き合いがあった男友だちに、つい先日同じようなことを言われてしまって、それが私にはけっこうショックだったらしい。のです。
「お前はまったく男ってもんを解ってない。バカの見本市だ。だからそういう目にばっかり遭うんだよ!」
と、ややキレ気味にこきやがりましたのです。
その数分前に、ヤツは急に発情して、襲い掛かってきたのです。
「何考えてんの?アホちゃうか!」
といって当然弾き飛ばし、車から引きずり降ろしました。
私は一滴も酒を呑んでいません。呑んでいたのはヤツだけです。それもほんの少し。
酔っ払った勢いならこの程度のこと笑い飛ばして済ませますが、明らかに酔ってないのはわかっているので、どうにも不快な感じがしてしまいました。大人気ないといわれればそれまでですが・・(苦笑
その後、私はヤツが笑いながら
「ごめんごめん冗談だよ~冗談」
と言ってくれるのを期待して、近くの自動販売機でスポーツドリンクを買ってヤツに渡した。
しかし待っていたのは、以前付き合っていた男たちや元・夫がさんざん言っていたような、
身勝手な男のファンタジーに染まったカビの生えたような説教だった。
女ってのは男のファンタジーを満足させるために存在するんじゃねえんだよ
いい年してそんなこともわかんないからあんたはモテないんだよ
と言ってやろうかと思ったのですが、
なんだか馬鹿馬鹿しくて、私は黙ってその場を去りました。
やっぱり殴ってやればよかったかな(笑)
今週は引きこもり週間と決めています。
経済的な理由ももちろんありますが、ごはんと酒の誘いだけはまず断ることがない私でしたが、持病のアトピー全開に加えて、思っていたよりも気分がどん底であると自覚できました。
人を信じたことが悪いのではなく、決して私が無防備だったわけでもないと今ならわかります。
人として傷ついた
ということをちゃんと自覚できてうれしい
ので、どっぷりとその気分に浸りきって、心身ともに休養したい。
からです。
アホはアホなりに一生懸命生きてるんだよなぁと、自分を誉めてあげたくなったわ。
貧相な想像力を働かせて、貪欲に幸せになろうともがいている自分を頭に描いてみる。
が、具体的に、幸せになるってどういうことなのかが解らないので妄想はすぐに途切れる。
何を望んでいるのか
何がしたいのか
何を欲しているのか
まったくわからない
それでも最近は、気付いたらポロポロと涙が流れていることがあって驚いた。
どこも痛くない。ケガもしていない。病気でもない。いじめられたわけでもない。
「ねぇわたしいよいよおかしくなっちゃったのかな?
普通に生活できているのに、自分で自分を抱きしめたら
わけもなく涙が流れて止まらないんだよ?
仕事に支障が出て困ってる。」
不安になって仕事中にもかかわらず、焔にメールをしてみた。
「だいじょうぶだよ。
今まで自分に感情を許したことなんてないでしょう?
これからは自分のために心を使おうね。
そして、今まで見捨ててきた小さな自分を抱きしめようね」
どんなに忙しくても、焔はわたしを遠くから抱きしめてくれる。
返信メールを読んでまたボトボトと涙が流れて落ちた。
粉々に砕け散って、草木一本も生えていない砂漠のあちこちに散らばっている私自身のかけらを、かき集めるような日々が、どうしようもなく辛く悲しいものに思えてきたのだった。こんなにも粉々になってしまっているものをかき集めるということは、気が遠くなるような作業だ。
ひとつぶカケラを見つけては拾って、ため息をついて座り込む。
座り込んだら次はいつ立ち上がれるのかわからない。
次のカケラを見つけるのはまたいつになるんだろう・・・と気が遠くなる・・・。
小さな小さなかけらを、必死に拾い上げようとすると、誰かがやってきて
蹴散らされる。
顔にも、頭にも、髪の根元にまで乾燥した砂がかかる。
その砂を払い落とすのも、自分でしなくてはいけない。
ねぇ焔、わたし、もう疲れてしまったよ。
なんでもないように見えるらしいこの顔も、
どんなに酷使しても壊れないムダに頑丈なこの肉の塊も、
考えることに慣れていない腐った脳みそも、
全てを破壊して、廃棄してしまいたい。
感情を認識してしまうということは、こんなにも痛く、辛いことなのか・・・
と、あまりにもか弱い自分に愕然として、全てを放棄してしまいたくなる。
わたしはわたしを止められない。
どうしようもなく、涙は流れて止まらない
体内の水分が枯れてしまうのではないかと思うくらい、流れ出てくる。
誰からも保護されず、血と膿と精液にまみれ放置されていた小さなわたしが、
お願いだから私を見つけて
私を抱いて
叫んでいるように思えるの。
抱きしめてあげたいのに、足もとは砂に掴まって動けない。
「これ以上粉々になってしまったら、欠片も見つけられなくなってしまう。怖いからずっと抱いていてね」
焔は、小さな私も、今のわたしも、抱きしめてくれる。
こうして自分以外の誰かを欲する気持ちが、こんなにも切なく、痛いものだと教えてくれたたったひとりの人間。
涙を流すことと、泣くことは別なんだろうか?
生きていればいつかわかる日がくるかなぁ・・・
投稿者:柚葉
と、いつも女ともだちと話しているのだけど。
この一年弱くらいの期間、何を思ったのか、私に興味を持ってくれ、なんやかやと世話を焼いてかまってくれる男の人がいた。
私の事を、好きだと言ってくれた奇特な人だった。
私は、私を好きだといってくれる人なら、求められればすぐに寝る。
それは、男でも女でも。
彼は、しばらく私を求めなかったが、数ヶ月して求められて応えた。
暴力的でもないし、たぶん普通に優しい(と思う)男で、一度も大きな声を上げたこともないし、もちろん暴力も振るわれたことはないし、子どもみたいなウソをついたりするけれど、私にはそれほど実害がないし、一人の時間を持つことを邪魔しないし、普通に対人関係を築いていけていた。と思う。
男として、というより、人として割と好きだったと思う。
親しくなると、興味を持った人間のことを知りたくなる
という気持ちは、私も最近うっすら理解できるようになってきている。
だけど、生まれついたときから、自分の意志に関係なく身に染み付いた習慣、というものが、ちらりほらりと見え隠れするらしく、彼はそのことに非常に苛立ち、最近は怒りをあらわにするようになった。
要約すると
「あんたは俺に何も求めない・聞かない」
ということが寂しい、自分に興味がないのだと感じる、というようなことが言いたいのだと解ってきた。
だけど私には、自分以外の人間に興味を持ったり愛着を感じたり、住処やモノに執着を感じたりということがない。つまり、自分以外のことに関心がない。そのことで親しくなった人間を傷つけてしまうことがよくあるようだ。
「弱みもみせないで意地を張ってる健気な女&母」
そういうイメージを世の男性は持ちたいのだろう。
そして、
「健気な女&母を、支える俺」
という、ある種の優越感に快感を覚える男性は少なくないと思う。
私の場合、健気な女でもないし、母親としては最低だし、
何かを求めるといったら、明日のエサと住処を確保できる仕事に就けるといいなぁ・・・・くらいで、バッグが、靴が、なんて、どこの国のお姫様の話なの?ってかんじだ。
彼は、以前ろくでもない親に育てられ、辛い子ども時代を過ごしたというようなことを話してくれたことがあったが、今、いい年してそのろくでもない親と一緒に暮らしている。
ブツブツ言いながらも、自分で自分の生活を賄うことができるのに、それをしないのは、別に命に別状がないからだろう。
そして、私のように、常に命の危機に晒されることを日常として、どこに埋まっているのか解らない地雷を踏まないよう全身の毛を逆立てていなければいけないような状態に置かれたことがないのだろう。
または、そういう人間を、身近に見たことがないのだろう。
と思った。
自分以外の人間に、弱みを見せるということは、私の場合命の危機に直結する。野生の生き物が弱っているところを見せれば、すぐに他の生き物のエジキになってしまうように、物心ついてから、つい数年前までそれが普通だったから、辛いとか、苦しいなんて考えたことはなかった。
自覚はなかったが、その状態から、命がけで逃げ出したのはまだほんの数年前のこと。骨が折れていようが、肉がえぐれ血が流れていようが、にっこり微笑んで立ち上がり、普通に仕事も家事もこなす。
「そんなの人間にはできないよ。ウソつくにももっとましなウソついたらいいのに」
と嘲笑れるのが常だが、私と同じような環境で生きてきた人間は、皆それが普通にできるのだ。できない人間のほうを不思議に思う。
彼も、私の子ども時代のことを聞きたいというので、少しだけ話したことがあるが、「おおかみがきた」という少年と同じだといわれ笑われて終わったので、それきり彼には子ども時代のことは一切話さなくなった。
言葉が通じない人との会話。
というのは、私にとってこういうとき。
自分には無縁の世界で日常を送ってる人間がいるなんて、想像をめぐらすことすらできないものなのだ。
私が、「世間一般に普通と言われる生活」が、ただの作り物にしか見えないのと同じで。
(それでも最近は、カタギの世界で普通に振舞うこともできるようになったから、そういうテレビのような世界もあるんだということも、なんとなく知った)
彼は、私に対して暴力的な振る舞いや言動をしない。
今の住処には、可愛い子どもたちとネコがいて、私は眠っている間首を絞められるとか刃物で刺されるとかレイプされるとかいう心配のない、貧しいけれど平和な生活を送れている。
それ以上に求めるものなんて今のところないから、不満もない。
それだけのことなんだけど。
どんなことでもいいから、昔のことも話して?
という彼の要望に応えてちらりと話したことについて、
「おおかみがきた」
といって騒ぐ少年と私は同じだと言った彼とは、もう仲良くできないな、と思った。
カタギの世界での対人関係を学ぶために、付き合いを続けてきたけれどやはりことばの通じない人間とでは疲れきってしまう。
下品な言葉をつかうな!といって切れる彼を、きょとんとして見ていた私に、怒りでなく哀れみのまなざしを向けた彼。
彼のほうもこんな私に疲れてきてるようだから、潮時だな、と感じた。
リアルでの友だちがいないからここで思うままつぶやいた。
疲れた。
薬効いてきたから寝ます。
アホのように出てます。
が、あたりまえのように仕事に出て、家事もこなします。
寝ていると吸い込まれて、また闇から出てこれなくなっちゃいそうで怖いんだろうな、きっと。
怖いものがあるって、幸せなのかもしれない。
死にたくない!って魂が、叫んでるってことだもんね。
大事にしたい。私のからだ、こころ、脳みそ。
柚葉
私の文章を読んでくださっている方はお分かりだと思うが、私はかなり人との愛着関係に問題がある。つまり、親密な人間関係がわからず、結ぶことができないのである。ネグレクトを経験した赤ん坊に多いハンディだ。愛着に問題がある場合、恋愛、結婚、妊娠などで躓きやすい。
ワタクシ、まんまと躓きました。
そんな私がなぜ妊娠出産をクリアできたのだろうと、結構考える。
育児だって、どう考えても、初期のころのはやばかった。心を注ぎながら育てることと、機械的に世話をすることの違いを理解していなかった。子育ては合理化してはならなかったのに、知らなかった。
教えてくれる方が現れて、私は子どもを通して、健全な養育過程というものを間接的に経験した。もう、これは世界がひっくりかえるようなことだった。自分がどの時期に、何を受けそこなったのかを、まざまざと見つめることだった。結構辛くもあり、また幸せなことでもあった。空っぽの器に、温かいものを満たしてゆくような作業だと思った。
孤独を気取りながらまっとうできず、恋愛できない癖に結婚をしたなんとも中途半端な人間が、子どもからは逃げずに来られたのは、たぶん「意志」のせいだと思う。避妊をしなかったとき、すでに確固とした意志があったように思う。
私は感情を知りたかった。人間のはじまりを見たかった。そして、あるかもしれない自分の心に触れたかったし、あるのなら注いでみたかった。そして心の温かさを感じ取れる人間を育てたかった。
親という役割を十年以上していく間に、不思議なことに、その子に足りないものが見えるようになった。
子どもたちはそれぞれ全く別の精神世界を持っていて、足りないものは質も分野も違う。そして思い知ったことは、たとえ見えても、他人には何もできやしないということだ。ただ、想いをかけて、息をつめて見守ること。おちゃらけたり、鈍感なふりをしながらも、いつでも少し遠くから見ていること。
彼女たちに「意志」が生じる時が来る。その時をそばで、じっと待っている。そして面白いことに、彼女らそれぞれに足りないものとは、私に欠けているものでもあるのだ。だから私にできるのは、見守ることと、自分に足りないものから目を背けず、身につけようとあがく様子を隠さないことだ。
空っぽの器に心が入っていくのは七転八倒するような苦しみなのに、表現できない喜びでもあるから、とても不思議だ。
でも、その後すぐの養育環境によって、決して純粋無垢とはいえない生き物になる。
少なくとも私は、記憶がある部分だけ思い出してみれば、ずいぶん打算的で、ずるい子どもだった。
幼いながらに大人の顔色を伺いながらも、周りの状況を察知する能力に長けている部分があった。
「とりあえずその場をなんとかやり過ごす術」
を、身に着けていたように思う。
だが、異常とも思える残虐性も持ち合わせていた。
小さい頃住居があった地域には、幼稚園を併設した大きな敷地を持つ寺があった。
朝はお年寄りや犬を連れた人が集い、昼は小さな子を連れた母親たちがおしゃべりを楽しむ、夕方になると学校や幼稚園を終えた近所の子どもたちの格好の遊び場となる、憩いの場だった。
私は、異常に集団が怖くて、通っていた保育所を良く抜け出して、折檻されていた。
早朝、深夜を問わず決まってわたしは、その寺の墓地に逃げ込んだ。
静かで、涼しい墓地がわたしの逃げ場所だった。
寺には鳩がたくさんいた。
なんらかの理由で片足のない鳩など、自由に動き回れないような固体を捕まえて、自分の思いつく限りの虐待をした。羽をむしる、棒状のもので叩く、首をしめる、肛門に異物を詰め込む、子どもの力でも抑え込むことができる鳩は、力尽きて命を落としていった・・。
変質的な性癖を持つ大人、を、嗅ぎ分ける嗅覚のようなものも持っていたのではないか?
と最近思うことがある。
私は、自らそういう男を見つけ、周りに言われたように、しなだれかかり、からだを開き、快感に打ち震えていたのではないのか?記憶があいまいな部分が多い私は、そのことを一生懸命考えて思い出そうとすると、体中が粟立つような、血液が逆流しそうな感覚に襲われる。
自分からはなにもできないくせに、他人になにかをされたときなどは、「発狂したように」暴力的で攻撃的だったということも覚えている。臆病な人間がキレると手が付けられない、という典型だと今はわかる。
その後いつものようにその場から脱走して、墓地でひとりうずくまるのだった。
ひんやりした墓石に小さいからだをもたれさせ、意味のない作り話をしてぶつぶつとつぶやいていた。
深夜、シンナーや花火を持った近所の不良少年たちに、花火の火を押し付けられた。
酔っ払いのホームレスに異物を挿入され、ひどい感染症になったのは、小学校3年くらい。
寺の本堂に入り込み、坊さんに竹刀で滅多打ちにされた。
今でも「感情があるのかないのかもわからない。痛いのか辛いのかもわからない」とよく言われるが、それをどうしろというのか!!!!という微妙な苛立ちに襲われる。
ひとつだけわかっているのは、
わたしは、男を喜ばせる為に生きているわけじゃない、ということ。
純粋な子どもではなかったけれど、そのことからは目をそらすつもりはないから。
柚葉
冒頭からちょっと狙った微妙な一言。
女でも、皮はむけていたいわけですよ。はい。
私は活動を通して出会う人や出来事に、日々学ばせていただいています。もう、本当にどんなに感謝しても足りないくらい、大切なことを学ばせてもらっています。
たった一つの大切なその人の人生の岐路に立ち合わせていただくことが多くあります。
大事な思い、
一世一代の覚悟、
そんなことをお聞かせいただけることもあります。
人生の悲しみ、絶望。そしてささやかだけれどようやく見つけたその人だけの喜び。
そんなものを教えていただけることもあります。
笑顔も、
無表情も、
苦渋に満ちた顔も、
悔しさにむせぶ顔も、
どれもその人の『生』の表情です。
それを正面から見せていただけることは、本当に光栄なことです。
私はいつも自分の弱さ、至らなさを考えます。
私のウィークポイントは、『怒りより諦めが先に立つ』ことです。粘らずすぐにあきらめる。それは決定的な負けの要因です。
どんなに傷つこうが、泥を飲もうが、諦めたらおしまいなんです。それどころかときには泥を飲んでもしがみつく様を見せつけるくらいが必要な時もあるんです。理性では分かっています。
でも、諦めて自己完結して閉じようとしがちです。その弱さは私が大人になり切れていない所に端を発するものだと思っています。
子どものころは徹底的に受け身でした。ですから私にできることは自分の人生を『こんなものだ』と決めつけて諦めることだけでした。でも、いつの間にか私は大人になったのです。大人は子供と違って、受け身ばかりでいる必要はなく、自分から動き、訴えることができるのです。いやなものを嫌だといえる。おかしいと感じたことをおかしいといえる。
そんな力がある、変えていく力があるということなのです。
子どもは溢れるほどの愛情という名のクッションに守られつつ、何度も失敗しながら大人へと成熟していくものです。愛を受けられないものは、たった一度の失敗が命取りになりかねないのでそれを恐れて自立への挑戦ができません。命がけの挑戦はただの自棄になってしまいがちで、身になっていないことが多いです。
でも、私は大人にならないといけません。
自分の活動に胸がはれません。
人生に胸がはれません。
『いつまでも娘じゃありませんよ。もうあなたは大人です。』
このセリフはある当事者が別の支援者に言われた言葉ですが、私の胸に深く突き刺さっているます。
人の隣に添わせていただけることに心から敬意を払っていきたいならば、私はまず自分の弱さから目を背けず、黙って努力を続けることだと思っています。
自分で突き刺した刃物の先から流れる血を、「あぁ、私の血も赤いんだ」ってぼんやり思いながら見てた。
外科手術を受けるとき、麻酔がなくても、恐怖感も痛みも解らなかった。
さっきまで私を「かわいい」といっていた男が豹変したって、物心ついたときには、とっさに意識を飛ばすことができたから、恐怖を感じることも、痛みを感じることもなかった。
今まで築き上げてきたものが一瞬にしてなくなる恐怖、知っているようで知らなかった。
最初から何も持たない人間は、何かを失う恐怖感を知らない。
誰かを必要としたことのない人間は、目の前から人が急にいなくなることに恐怖や悲しさを感じない。
痛みが解らないから、自分以外のイキモノの痛みも理解できない。
脳みそで考えた通りに行動すれば、ムダもなくていいのにな、なんでみんな泣いたり笑ったり怒ったりめんどくさいことすんのかな?とつい最近まで思っていた。脳みそで考えた通りに、人間は動けるものだと自分がそうだから他人もそうだと真剣に思ってた。
色々なことに気付いてしまった今、怖いと感じることが多く出てきた。
「怖い」
と感じる切ない「気持ち」を自覚したとき、心臓が痛くなった。
刃物を使わなくても、人間って痛みを感じることができるんだ、と知った。
投稿者:柚葉
それが自分ができる最大の心の防御だった、そんな過去に生きました。
そのたび、「ええ??あたしなんぞとマジで仲良くなりたがっている人がいる!うわっ、何だこいつ、何考えてんの?怖っ!」と思ってしまう(笑)。
相手が異性愛者の女性の場合は最近素直に「うれし(はあと)」と感激しておつきあいを深めたいと思えるようになってきました。(あたし的に大進歩です!)
私は幼少期から性虐待をバリバリ受けてきて、しぶとくも生き抜いてきた猛者でございます。ちょっとやそっとのことじゃ動じません。痛覚なんかめちゃ麻痺しています。
しかも加害者が肉親だったもので、基本的な信頼関係なんか全く築けず育っちゃいました。人間は、自分のためなら何でも誰でも利用し搾りつくす生き物だと実感しつつ育ちました。
だから自分が相手の性的対象外であるとわかると安心できるのです。そんな世界の中で生きてきたものだから。
反対に、異性愛者の男性は即NGで、どんなに仲良く談笑しているように見えても、相手を認識して接してはいません。壁に向かって演技しているかのごとく、相手のことは完全に見ていないのです。
いろいろごめんなさい。
【基礎になる信頼関係を結んだ実績】
かなり大事なものらしいのですが、私にはありません。裏切らない関係というのが、よくわからないのです。裏切りが通常だと思うので、裏切られても特に何も思いません。
だからむしろ私はなるべく人を裏切らないように気をつけて生きたいなと思います。人間の健全な発達過程に大事なものを実感を伴って学ぶためにも。
かなり手探りで、時々叫びそうになります。だってわっかんねーんだもん!
0とは、こういうことです。
でも、少しずつ変わっていけたらなと思います。回り道をしながら、少しずつ、人間の良心や理性を信じていけるようになればと思います。それ以前に自分をもっと信頼できる人間に鍛えていかなければとも思っています。
自分の最大の敵も自分ですが、究極の自分の味方もまた、自分ですもの。
生きてるんだから、過去から自分を解き放って、未来に開きたい
homura
なんだか知らないけど、数少ない私の友だちはすごく優しい。
なんで私なんかに優しくするのか?を聞いてみた。
「柚葉のこと好きだからだよ。誰だって自分にとって大切な人間には優しくしたいでしょ。他に理由いる?」
へぇ~~~~~と思った。
そんなシンプルなものでいいんだ?人間関係って。
好きとか嫌いとか、そういう理由で、気持ちのままに行動しても良いんだ?と不思議に思った。
自分は他人に優しくしてもらうような価値のない人間だから、とつい卑屈な、申し訳ない気持ちになってしまったりするのだけど、友だちは、私が「申し訳ない、ごめんね」というと怒る。(汗)
「謝らないでいいことで謝るなって言ってるでしょ!そういうときは、ありがとう!って言うのよ」
人として生まれ、人として扱われて育った人間なら、自然に身に付けていくであろうと思われるようなことが、私にはできない。というか、理解に苦しむことが多い。
次女を出産した12年前、若い頃から患っていた婦人科疾患がいよいよもうダメ!というところまで悪化してしまい、ある日倒れて救急搬送されるハメになってしまった。
長女はまだ5歳、次女は生後数ヶ月の乳飲み子だった。
救急隊員の方が、不安と恐怖で泣き喚くふたりの子どもを抱っこしながら忙しそうに様々な手配をするのを目にして、私はいけないと思いながらも、ほっとしたのか、救急車の中で意識が遠くなるのを感じていた。
気がついたときは、総合病院の救急処置室に寝かされていて、長女は泣きつかれて眠ってしまい、次女は母乳を欲しがって泣きやまず、看護師さんが抱いて必死にあやしていた。
しまった!と、飛び起きようとしたが、どうしても身体が動かない。
どうしよう、おっぱいの時間が過ぎてるのに・・・
この子は哺乳瓶も粉ミルクも一切受け付けない子なのに・・・
「柚葉さん、あなたのおなかの中では今大変なことが起こっています。もう手術しましょう。幼いお子さんがふたりもいながら、こんなになるまで病気を放置するとは母親失格ですよ」
穏やかな口調だったが、でも、厳しく、毅然と、医師に宣告された。
私は、医師の言うとおり手術を受けることを決め、観念した。
「最後に・・・もう一度だけ母乳をあげてもいいでしょうか?」
「いいですよ、術後は強い薬を使うので、母乳はもうあげられなくなると思います。思う存分飲ませてあげてください」
看護師の方の力を借りて、泣きすぎてひきつけを起こしそうなくらいにしゃくりあげている次女に、なんとか母乳を飲ませることができた。次女は、何時間も泣き続けていたため、声も出せないような状態で、ほんの少し母乳を飲んだら、疲れて眠ってしまった。小さな次女の片手は、私のもう片方の乳房をしっかり掴んでいた。
「この子に母乳をあげられるのはもう最後なんだ・・」
と思ったら、今までに感じたことのないような気持ちになったのを少し覚えている。
救急処置室のベッドの上で、何十分そうして次女を抱いていたのだろうか?
さっきの医師がいつの間にか戻ってきて、静かに言った。
「手術室、準備が出来ましたから行きますよ」
「はい、お願いします」
「ご主人は、手術同意書にサインだけして帰りましたから」
「そうですか、お手数かけてすみません」
しがみついた小さな次女の手をそっと離して、看護師さんが抱き上げた。
次女は、私の身体から離された瞬間目を覚まし、激しく泣き出した。
「ママ、ちょっと修理してくるね」
そういい残して、暗い長い廊下をストレッチャーで手術室へ向かった。
思いがけずあっという間に麻酔は効き、あっけなくほんの数時間で手術は終了し、私は26歳で二度と妊娠も出産もできない身体になった。
次に目が覚めると、真っ赤な目をした女ともだちが次女を抱いてベッドの横に立っていて、長女が不安そうに私の手を握っていた。随分色々な夢を見て、長く眠っていたような気がしたが、実際には9時間くらいしか経っていなかった。
「ママ・・・どこにも行かないよね・・・?」
長女に聞かれて、私には備わっていないと思った母性のようなものが、生まれて初めてきゅーーんと疼いた。私だけを必要とし、私だけを求める小さなこの子たちを残して死ぬわけにはいかないんだ、と初めて自覚した。
やがて(元)夫が病室にやってきた。
「お前は母親のくせに、こんなめんどうなことを起こしやがって!このアホが!ボケ!死にぞこない!俺様が一時間にいくら稼ぐのか知っているのか!健康管理もできない貴様は人間のくずだ!!!」
と、いつもどおり怒鳴った。
入院中家事も仕事もできないし、もちろんセックス奴隷としての役目も果たすことができない。そのことで不自由ををかけることに対して、そのときは心底申し訳ないと思ったので、起き上がることはできないけれど、(元)夫に土下座する勢いで謝った。
「ごめんなさい・・。今後二度と迷惑はかけませんので許してください」
健康管理もできないクズ、と言われたら、そうだよなぁ・・その通りだよなぁ・・・死ねれば良かったよなぁ・・と、自分が生きていることさえも罪悪に感じてしまい、何日も眠れない夜が続いた。
(元)夫は、退院するまでの数日間、宣言したとおり一切病室に顔を見せることはなかったので、ほっとした。(元)夫が同じ屋根の下にいない、ということは、セックス奴隷としての役目を、たった数日間だけとはいえこなさなくても良い、ということだ。
身内も誰もない私の病室には、1人の女ともだちが一日おきに来てくれて、子ども達のめんどうも見てくれていたので、本当にありがたかった。
「ほんとにごめんね・・きっと恩は返すからね」
私は、悪気もなく、その言葉を繰り返し口にした。
物心ついたときから、
「おまえのような人間は、命があるだけでも、常に周囲に感謝しなくてはいけないんだ」
ということを徹底的に叩き込まれて生きてきたので、
「人に何かをしていただいたときには、全力でお返しをしなくてはいけない」
と思い込んでいた。それが、当たり前のことだと思っていた。
が、友だちの考え方は違っていた。
「あんたがこんなにどうしようもなくなるまで何も相談してもらえなかったんだから・・・・・・私は・・・・なんだか情けないし、とても悲しいよ・・・・気が済むまでこうしていたいんだよ・・・」
女ともだちは、なんともいえない表情をして、ぽそりと呟いた。
あぁ・・・人を大切に思うって、人を愛するって、もしかしてこういうことを言うんだろうか?とぼんやり思った。友だちって、こういうものなんだ、と。私は、自分にとって大切だと宣言している人間のために、どこまでできるだろうか?とも思った。
投稿者:柚葉