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粉々に壊れたココロを拾い集める女たちの本音blog
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柚葉&焔
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社会人で女
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濃い人生だねと言われること多し。実は、平凡・平和をこよなく愛する、怯えた子どもであることに気付き、血を吐きながら生きるふたり。
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偶然古い友だちに会ったら思い出した。もうずっと前のこと。

なんだか知らないけど、数少ない私の友だちはすごく優しい。
なんで私なんかに優しくするのか?を聞いてみた。

「柚葉のこと好きだからだよ。誰だって自分にとって大切な人間には優しくしたいでしょ。他に理由いる?」

へぇ~~~~~と思った。
そんなシンプルなものでいいんだ?人間関係って。
好きとか嫌いとか、そういう理由で、気持ちのままに行動しても良いんだ?と不思議に思った。

自分は他人に優しくしてもらうような価値のない人間だから、とつい卑屈な、申し訳ない気持ちになってしまったりするのだけど、友だちは、私が「申し訳ない、ごめんね」というと怒る。(汗)

「謝らないでいいことで謝るなって言ってるでしょ!そういうときは、ありがとう!って言うのよ」

人として生まれ、人として扱われて育った人間なら、自然に身に付けていくであろうと思われるようなことが、私にはできない。というか、理解に苦しむことが多い。

次女を出産した12年前、若い頃から患っていた婦人科疾患がいよいよもうダメ!というところまで悪化してしまい、ある日倒れて救急搬送されるハメになってしまった。
長女はまだ5歳、次女は生後数ヶ月の乳飲み子だった。
救急隊員の方が、不安と恐怖で泣き喚くふたりの子どもを抱っこしながら忙しそうに様々な手配をするのを目にして、私はいけないと思いながらも、ほっとしたのか、救急車の中で意識が遠くなるのを感じていた。

気がついたときは、総合病院の救急処置室に寝かされていて、長女は泣きつかれて眠ってしまい、次女は母乳を欲しがって泣きやまず、看護師さんが抱いて必死にあやしていた。

しまった!と、飛び起きようとしたが、どうしても身体が動かない。
どうしよう、おっぱいの時間が過ぎてるのに・・・
この子は哺乳瓶も粉ミルクも一切受け付けない子なのに・・・

「柚葉さん、あなたのおなかの中では今大変なことが起こっています。もう手術しましょう。幼いお子さんがふたりもいながら、こんなになるまで病気を放置するとは母親失格ですよ」

穏やかな口調だったが、でも、厳しく、毅然と、医師に宣告された。
私は、医師の言うとおり手術を受けることを決め、観念した。

「最後に・・・もう一度だけ母乳をあげてもいいでしょうか?」

「いいですよ、術後は強い薬を使うので、母乳はもうあげられなくなると思います。思う存分飲ませてあげてください」

看護師の方の力を借りて、泣きすぎてひきつけを起こしそうなくらいにしゃくりあげている次女に、なんとか母乳を飲ませることができた。次女は、何時間も泣き続けていたため、声も出せないような状態で、ほんの少し母乳を飲んだら、疲れて眠ってしまった。小さな次女の片手は、私のもう片方の乳房をしっかり掴んでいた。

「この子に母乳をあげられるのはもう最後なんだ・・」

と思ったら、今までに感じたことのないような気持ちになったのを少し覚えている。
救急処置室のベッドの上で、何十分そうして次女を抱いていたのだろうか?
さっきの医師がいつの間にか戻ってきて、静かに言った。

「手術室、準備が出来ましたから行きますよ」

「はい、お願いします」

「ご主人は、手術同意書にサインだけして帰りましたから」

「そうですか、お手数かけてすみません」

しがみついた小さな次女の手をそっと離して、看護師さんが抱き上げた。
次女は、私の身体から離された瞬間目を覚まし、激しく泣き出した。

「ママ、ちょっと修理してくるね」

そういい残して、暗い長い廊下をストレッチャーで手術室へ向かった。
思いがけずあっという間に麻酔は効き、あっけなくほんの数時間で手術は終了し、私は26歳で二度と妊娠も出産もできない身体になった。

次に目が覚めると、真っ赤な目をした女ともだちが次女を抱いてベッドの横に立っていて、長女が不安そうに私の手を握っていた。随分色々な夢を見て、長く眠っていたような気がしたが、実際には9時間くらいしか経っていなかった。

「ママ・・・どこにも行かないよね・・・?」

長女に聞かれて、私には備わっていないと思った母性のようなものが、生まれて初めてきゅーーんと疼いた。私だけを必要とし、私だけを求める小さなこの子たちを残して死ぬわけにはいかないんだ、と初めて自覚した。

やがて(元)夫が病室にやってきた。

「お前は母親のくせに、こんなめんどうなことを起こしやがって!このアホが!ボケ!死にぞこない!俺様が一時間にいくら稼ぐのか知っているのか!健康管理もできない貴様は人間のくずだ!!!」

と、いつもどおり怒鳴った。
入院中家事も仕事もできないし、もちろんセックス奴隷としての役目も果たすことができない。そのことで不自由ををかけることに対して、そのときは心底申し訳ないと思ったので、起き上がることはできないけれど、(元)夫に土下座する勢いで謝った。

「ごめんなさい・・。今後二度と迷惑はかけませんので許してください」

健康管理もできないクズ、と言われたら、そうだよなぁ・・その通りだよなぁ・・・死ねれば良かったよなぁ・・と、自分が生きていることさえも罪悪に感じてしまい、何日も眠れない夜が続いた。
(元)夫は、退院するまでの数日間、宣言したとおり一切病室に顔を見せることはなかったので、ほっとした。(元)夫が同じ屋根の下にいない、ということは、セックス奴隷としての役目を、たった数日間だけとはいえこなさなくても良い、ということだ。
身内も誰もない私の病室には、1人の女ともだちが一日おきに来てくれて、子ども達のめんどうも見てくれていたので、本当にありがたかった。

「ほんとにごめんね・・きっと恩は返すからね」

私は、悪気もなく、その言葉を繰り返し口にした。

物心ついたときから、

「おまえのような人間は、命があるだけでも、常に周囲に感謝しなくてはいけないんだ」

ということを徹底的に叩き込まれて生きてきたので、

「人に何かをしていただいたときには、全力でお返しをしなくてはいけない」

と思い込んでいた。それが、当たり前のことだと思っていた。
が、友だちの考え方は違っていた。

「あんたがこんなにどうしようもなくなるまで何も相談してもらえなかったんだから・・・・・・私は・・・・なんだか情けないし、とても悲しいよ・・・・気が済むまでこうしていたいんだよ・・・」

女ともだちは、なんともいえない表情をして、ぽそりと呟いた。

あぁ・・・人を大切に思うって、人を愛するって、もしかしてこういうことを言うんだろうか?とぼんやり思った。友だちって、こういうものなんだ、と。私は、自分にとって大切だと宣言している人間のために、どこまでできるだろうか?とも思った。


投稿者:柚葉
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