忍者ブログ
粉々に壊れたココロを拾い集める女たちの本音blog
カウンター
プロフィール
HN:
柚葉&焔
性別:
女性
職業:
社会人で女
趣味:
妄想
自己紹介:
濃い人生だねと言われること多し。実は、平凡・平和をこよなく愛する、怯えた子どもであることに気付き、血を吐きながら生きるふたり。
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新TB
最新CM
[09/11 八゜イ星人]
[09/04 むらた]
[05/16 太陽]
[12/22 焔]
[07/22 柚葉]
[07/18 焔]
[07/15 柚葉]
[02/02 柚葉]
[12/13 焔]
[12/10 柚葉]
バーコード
アクセス解析
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

最近いろいろあって、非常に人肌恋しいわけです。
あたしにしては珍しく、というか、人生初めて位に誰かによっかかってしまいたいとか思うわけです。

間違わないでほしいんだけど、これってやる相手がほしいとかじゃないよ。


あたしは性交が人間関係の中で行われるコミュニケーションの一つだとどうしても理解できない。
人間に性欲があるのは知っている。
食欲と一緒で、欲した時に、一番手近なもので満たす。
質とか量とかってことがあることもわかるし、飼っておけば労力がかからないという利点があるってこともわかる。

でもさ、コミュニケーションだなんて思ったことないよ。
食ったらそれまで。食い散らかした残骸に興味なんかない。

あたし、そういう態度をされてきたよ。それしかなかったよ。だから、そういう態度しか知らない。


「好きな人に近づきたい、自分だけがその人の一番近くに行きたい」
それを誰もが元から持っている欲求だなんて、思わないでよ。
好きだから遠ざかるって方が、自分の人生の中では自然だと思う人もいるのよ。

人肌を求める心が、いまだに刹那的なの。
「消費する欲求」
その瞬間、無差別な欲求。コミュニケーションの範疇外の、人から眉をひそめられる欲求。
人を信じたことがないんだもの。信じられる、固定された関係の中での安心感なんて、まったくわからないもの。「瞬間」しか知らなくて、「誰か」に個人をイメージできないことを、怒らないで。

0か100の世界の中で生きているあたしは、人肌を求める心をコミュニケーションの中で位置づけられるまで、誰にも触らないし、触らせないようにしていくしかできない。

さみしい気持も、心もとない気持ちも、自分でなんとか包み込んで、飲み込んでしまおう。

PR
ブログのタイトルと同じタイトルのAVがあるのね(笑)

けっこうエグイ内容みたい。

このブログをはじめたとき、何も考えてなかった。
タイトルも、適当に決めた。

血も、エクスタシーも、私は大事だし、好きだから。それだけ。
ただ、ニワトリのように忘れっぽいんで、備忘録みたいな軽い感じではじめた。

たまに読み返してみると、気持ち悪い女だなぁ・・って思う。


私はまだ、どんなことに、どんな部分にエクスタシーを感じるのか、自分でよく解ってない。
追い求め続けるだろう。これからも。


柚葉





生きていることを罪悪に感じながら、日々を送る。

それが私の普通の状態だった。
そのことをきちんと自覚していたわけではない。
自覚して、脳みそで自分の存在を罪悪に感じている、私はなんて命根性が意地汚い人間なのだろう・・・と言語化できたのは、きっと20代に入ってからだったと記憶している。

記憶のある限りでいう子どもの頃、

「どうして私は生きていてはいけない人間なのに生きているのか?」

と、ただ不思議に思っていた。もちろんそう思わざるをえない状況下で成長期を過ごしたから、だと今は解る。いや、洗脳されてたんだろうね。
自分の意志を持つことを許されず育った人間は、「心のありかた」さえも自由にできないし、知らないから、それを疑問に思うことさえしない。


私はまだおむつもとれないような幼い頃から、変質的な性癖を持った複数の男たちに弄ばれ、放置されるという行為を繰り返し受けていた。そういう変態男たちのエジキになっているということにさえ長く気付かずにいたのだから。

10代半ば、義務教育を終えた私は、朝の7時から夜中の3時まで毎日働いた。
16歳のときにはすでに月収は50万を超えた。


男に飼われなくても生きていけるやん!

と確信を持った。


どんなに酷使しても壊れない肉体と、何をされても感じない凍りついた心臓、考えることを完全に放棄してしまった脳みそ、この三点セットが私の最大の武器だった。何も考えたことも、恐れたことも、迷ったこともなかった。

だけど、働けなくなる(仕事を失う)=明日のエサを調達できない、なので、それだけは恐怖だった。
このあたりから、生きることに対する執着心は凄いものがあったんだろうなぁ。

仕事はいくらでもあったし、仕事は裏切らない。そんな時代だった。
なりふりかまわず働けば、その分金銭という目に見える見返りを手に入れることができた。それは私にとって、初めて自分の意志で手に入れることのできたものだったから、何があっても働くことをやめたくなかったし、金を稼げない人間になるなどということが、絶対に許せなかったのだった。

成人してすぐ、初めての妊娠を経験し、自分の稼ぎがない状態に置かれた私は、精神状態があきらかにおかしくなった。当時の配偶者は、安月給の普通のサラリーマン。贅沢しなければ充分暮らしていけるだけの収入があって、別に無理して私は働かなくてもよかった。

だけど、自分自身が今は金も稼げない人間なのだということを認めるのが、恐ろしくて恐ろしくて、わけのわからないことを口走ったりして配偶者を困惑させた。
夜は自分の体の中に宿った子どもを殺す夢を数え切れないくらいみては怯え、昼間は自殺する妄想を暴走させて、臨月を迎えた。

仕事をしていればその職場ではとりあえず「自分はまだ生きていてもいいんだ。金を稼ぐという生産性のあることをしているのだから」と、必死に我が身に言い聞かせることができる。が、金を稼げない自分の存在を、許すなどという高度なことは、全くできなかった。


子どもが生まれ、私は完全に狂った。
記憶がない。ただ、生きて産まれたものを生かしておく、その執念だけで数年を過ごした。
我が子に笑いかけることもしなければ、食べ物を味わうこともしなかった。


狂った笑いを子守唄に、栄養失調で母乳が出なくなった乳房をおもちゃがわりに握り締めながら、私の子どもは目を見張るような力で生き延びた。


「廃人でも何でもいい。何もしなくていいから、ただ生きていて」


そう声をかけてくれた人間がいた。

狂っていることに気付くこともできず、認めることもできず、
真っ黒な、ヘドロのぬかるみが底に溜まったブラックホールにズッポリはまって、自力で抜け出すこともできなくなったとき、私の体と脳みそは一度完全にぶっ壊れた。ぶっ壊れたらもう、狂っている自分を認めざるをえない。狂った私の手を、だまって握り続けてくれた人間がいた。私は、その手を、振りほどこうとしたこともあるし、見えないふりをしたこともある。

だけど、その手は、何年経ってもずっと私の手を握り続けていた。
その手は、熱かったり、冷たかったりしたけれど、変わらずそばにあった。

私は男とも女とも、誰とでも寝る女だが、その人だけはセックスの対象としてみれなかった。


血まみれの、傷だらけの、ヘドロまみれの、私の手を、焔は離さなかった。



今も私の体には、無数の傷跡がある。
その傷跡は、かさぶたがはっているものもあるが、まだ時々自分の手で剥がしたために、血膿が滲む傷もあるし、新しくできた傷もある。肉をえぐりとり、骨までもが剥き出しになったような傷を、にやにやと眺めるのが日課だった私が、今、自分の体の傷を、消毒している。

この行為は、

「自分がこの世に存在することを許した行為」

なのだと最近は思っている。
血を流さずには生きられない、生きることは終わることのない戦い、でも、私は生きることを選んだ。


投稿者:柚葉






自動的に意識を切り離すことができる。と、いうよりは制御できずに自動的に乖離してしまう。

日常のあらゆる場面で。そして本当に哀しいことに、ほとんどそうしてやり過ごしている。


どんなに強がっても、生きることが怖い。
人の間で元気そうに振る舞っても、「近寄るな」と叫びそうになる。

先に噛み付くのも、でかい声で下品な話をするのも、人払いのためだ。
どう振る舞えば自分を貶めずにすむかなど、考えられる余裕なんかない。人間がどうしようもなく怖いのだ。


わたしだって、寂しくないわけがない。でも人間はひどく恐ろしい。「愛している」と囁きながら、互いを食い絡み合う、変な生き物たちの間で育ったから、男女の愛はどんな怪奇話より怖い。一人が安全だ。
わたしは愛といえば、自分を相手に食わせてきた。そういうものだと思ったし、得られる代償は、生きるのに必要な「生活」だった。
こんなに怖がりだから、外の世界に出て働くなどできないと思ったが、雑踏に同化することで恐怖は誤魔化せた。みんなの中で一人でいればいい。男と住む理由はなくなった。


生きるのに意味があるかはわからない。
でもなぜか、生きたい。
そして、生きるのなら、人間を好きになれますように。


乖離の裏に、生きることをこんなに怖がっている自分が見えて、途方に暮れる。


素面では、
生きられない。

だからあらゆる手段を使い、人間を好きになって、生き方を、根っこから変えたい。

そう思って生きている。
疲れても、休み方がわからない。だから、倒れるまで、走ろう。


最近よく話す人(女性一人、男性1人)がいう言葉がひっかかってた。


「それさぁ女としてさびしくないか?それでいいのか?」


ずっと違和感あってこたえられられなかったんだけど、なんとなくわかった。


女としての幸せというものを知らないから、それがなくてもさびしいかどうかなんてわかるわけないじゃないのよ。ということでした。


こんな簡単なことがわからなかったんだと改めて頭の悪さを認識した。


柚葉
まぁ、どうせ今の状態でそんなところまでいけるはずもないので、適当な部分まで肉薄してみる。

自分の恐怖や不安と正面切って闘うことはできなかったです。
ええ、ずっとその環境の中、その世界の中でやっていくんですからね。
出られるまでは自分の恐怖なんか見つめちゃいけませんよ。

あたしはさー、レイプとかが怖かったのかな、とか、素人っぽく思ったわけよ。
そういうのって、トラウマって言うの?何かそれっぽいじゃん。
同情されそうだし、わかりやすくかわいそうだしさ。


でもなー。
やられてみたけど、思うほどびびってもないし、傷もつくんだけど、痛み方や恐怖感がやっぱりしっくりこない。
※くれぐれもあたしの文章読んで一般化しないように。ふつーの女性は一回のレイプで十分苦しむし、心を殺されると表現されるほど、後遺症を負いますから!あたしのは麻痺しずぎて、どうしようもないほど心の表層が角質化しているだけなんで!

あたしはさ、男という存在自体が怖いみたいなんだ。
迫ってこられると、何とも言えない圧迫感を感じて、具合が悪くなる。
磔にされて検分される虫のような気持ちになるし、どうにも動けない。金縛りにあったようになる。
あの、圧倒的な恐怖と息苦しさは、体の奥が知っているもの。身動きもしてはいけない、声も出してはいけない、じっと人形のように息をつめて、時間の過ぎるのを待っていた。

人形だった、物だった、解体、検分される実験材料だった、そんな記憶を体の奥が持ち出してくるんだ。

いや、もっといえば、男だけじゃなくて、大人が怖いんだよな。

受け身になるのが怖いんだな。
だから支援や援助されるのもいやなんだな。

秘密と、謎がより一層、圧倒的な恐怖を肥大させるのを手伝っている。

大きい肉の塊が、男という生き物が、力を行使するものが、性差も無関係に、とにかくあたしをひりつぶせる力を持ちえるもの、それを想起させるものが、恐ろしい。

セックスなんか、たいした問題じゃなんだ。暴力の一形態でしかない。
まー、自分の心の欠損(傷?)にせっくす(この場合はファックか?)なんか持ち出すと他人も自分も欺きやすいんで、考えたくないもんだから、つい。ほら、しかもやられてもいるし、余計。

本当に怖いのは、あらがえない力に自分が制圧されきって、別物に変形させられてしまうこと。

「男」つーのが、最も表現しやすかっただけだろう。相変わらず雑なことで。。


だって、実際怖くない男もいるもんな。認めたくないけどな。
反対に怖い女もいるしさ。
この辺の矛盾に本当は気づいていても、両目を瞑って「男怖い」といい続けるところが、全くいい加減なとこなんだよな。

もんのすごい勢いで知恵熱出てます。

アホのように出てます。

が、あたりまえのように仕事に出て、家事もこなします。
寝ていると吸い込まれて、また闇から出てこれなくなっちゃいそうで怖いんだろうな、きっと。

怖いものがあるって、幸せなのかもしれない。

死にたくない!って魂が、叫んでるってことだもんね。

大事にしたい。私のからだ、こころ、脳みそ。

柚葉
子育ては、自分育てって本当だなーと思う。
私の文章を読んでくださっている方はお分かりだと思うが、私はかなり人との愛着関係に問題がある。つまり、親密な人間関係がわからず、結ぶことができないのである。ネグレクトを経験した赤ん坊に多いハンディだ。愛着に問題がある場合、恋愛、結婚、妊娠などで躓きやすい。

ワタクシ、まんまと躓きました。

そんな私がなぜ妊娠出産をクリアできたのだろうと、結構考える。
育児だって、どう考えても、初期のころのはやばかった。心を注ぎながら育てることと、機械的に世話をすることの違いを理解していなかった。子育ては合理化してはならなかったのに、知らなかった。

教えてくれる方が現れて、私は子どもを通して、健全な養育過程というものを間接的に経験した。もう、これは世界がひっくりかえるようなことだった。自分がどの時期に、何を受けそこなったのかを、まざまざと見つめることだった。結構辛くもあり、また幸せなことでもあった。空っぽの器に、温かいものを満たしてゆくような作業だと思った。

孤独を気取りながらまっとうできず、恋愛できない癖に結婚をしたなんとも中途半端な人間が、子どもからは逃げずに来られたのは、たぶん「意志」のせいだと思う。避妊をしなかったとき、すでに確固とした意志があったように思う。

私は感情を知りたかった。人間のはじまりを見たかった。そして、あるかもしれない自分の心に触れたかったし、あるのなら注いでみたかった。そして心の温かさを感じ取れる人間を育てたかった。

親という役割を十年以上していく間に、不思議なことに、その子に足りないものが見えるようになった。
子どもたちはそれぞれ全く別の精神世界を持っていて、足りないものは質も分野も違う。そして思い知ったことは、たとえ見えても、他人には何もできやしないということだ。ただ、想いをかけて、息をつめて見守ること。おちゃらけたり、鈍感なふりをしながらも、いつでも少し遠くから見ていること。

彼女たちに「意志」が生じる時が来る。その時をそばで、じっと待っている。そして面白いことに、彼女らそれぞれに足りないものとは、私に欠けているものでもあるのだ。だから私にできるのは、見守ることと、自分に足りないものから目を背けず、身につけようとあがく様子を隠さないことだ。

空っぽの器に心が入っていくのは七転八倒するような苦しみなのに、表現できない喜びでもあるから、とても不思議だ。
身寄りの無い女性たちの、互助会みたいなことをやっている。
まぁ、そもそも私自身が必要なわけで。
自分がきつかった経験が、これをやろうと思った動機でもあり、実際にこんな活動にどれくらいの需要があるのかを、私自身が知りたかったのだ。

ほんのちょっとしたことなんだ。
友人や、親族がいれば用が足りること。
行政の役人や、公共のサービスに頼るほどでもない、日常のちょっとしたこと。
誰かにちょっとついてきて欲しい。
ちょっと知恵を貸して欲しい、背中を押して欲しい、肩を、貸して欲しい
そんなこと。

別にね、無理したら一人でもできるんだ。
いつもは全部一人でやれること。
ただ、心の充電が足りないとき、体が重くて動かないときに、ちょっと力を貸して欲しい、それだけ。

そんな時、声をかけてもいい人がいたら。


何度、そう夢想しながら、一人で乗り切ってきただろう。


そんな私のような人は、一体何人くらいいるのだろうか?



この活動をやってから、一年以上経った。
私の活動には、確かに需要があった。
一年の間に、壊れていた家族から出て、新たに旅立った女性もいた。
私の活動は、彼女達と共に、ひたすら生きていくこと。
一人ではない、倒れそうになっても支える腕はあるのだと、そう知ってもらうこと。

当たり前のように、家族や友人に恵まれている人たちの中で、
一人で当たり前なのだと、自分を納得させて押しつぶされそうになっている人がいる。
その間に、目に見える壁は無い。

けれど、見えない壁が、確かにあって、持たざるものたちは、いつだってそれにうちひしがられるのだ。

生きましょう。
それでも、私たちは生きているのだから。

homura
無垢な魂とからだを、確かに生まれたとき人間は持っているのかもしれないな、とは最近思う。

でも、その後すぐの養育環境によって、決して純粋無垢とはいえない生き物になる。
少なくとも私は、記憶がある部分だけ思い出してみれば、ずいぶん打算的で、ずるい子どもだった。
幼いながらに大人の顔色を伺いながらも、周りの状況を察知する能力に長けている部分があった。

「とりあえずその場をなんとかやり過ごす術」

を、身に着けていたように思う。

だが、異常とも思える残虐性も持ち合わせていた。
小さい頃住居があった地域には、幼稚園を併設した大きな敷地を持つ寺があった。
朝はお年寄りや犬を連れた人が集い、昼は小さな子を連れた母親たちがおしゃべりを楽しむ、夕方になると学校や幼稚園を終えた近所の子どもたちの格好の遊び場となる、憩いの場だった。


私は、異常に集団が怖くて、通っていた保育所を良く抜け出して、折檻されていた。
早朝、深夜を問わず決まってわたしは、その寺の墓地に逃げ込んだ。
静かで、涼しい墓地がわたしの逃げ場所だった。
寺には鳩がたくさんいた。
なんらかの理由で片足のない鳩など、自由に動き回れないような固体を捕まえて、自分の思いつく限りの虐待をした。羽をむしる、棒状のもので叩く、首をしめる、肛門に異物を詰め込む、子どもの力でも抑え込むことができる鳩は、力尽きて命を落としていった・・。

変質的な性癖を持つ大人、を、嗅ぎ分ける嗅覚のようなものも持っていたのではないか?
と最近思うことがある。
私は、自らそういう男を見つけ、周りに言われたように、しなだれかかり、からだを開き、快感に打ち震えていたのではないのか?記憶があいまいな部分が多い私は、そのことを一生懸命考えて思い出そうとすると、体中が粟立つような、血液が逆流しそうな感覚に襲われる。

自分からはなにもできないくせに、他人になにかをされたときなどは、「発狂したように」暴力的で攻撃的だったということも覚えている。臆病な人間がキレると手が付けられない、という典型だと今はわかる。
その後いつものようにその場から脱走して、墓地でひとりうずくまるのだった。

ひんやりした墓石に小さいからだをもたれさせ、意味のない作り話をしてぶつぶつとつぶやいていた。
深夜、シンナーや花火を持った近所の不良少年たちに、花火の火を押し付けられた。
酔っ払いのホームレスに異物を挿入され、ひどい感染症になったのは、小学校3年くらい。
寺の本堂に入り込み、坊さんに竹刀で滅多打ちにされた。


今でも「感情があるのかないのかもわからない。痛いのか辛いのかもわからない」とよく言われるが、それをどうしろというのか!!!!という微妙な苛立ちに襲われる。

ひとつだけわかっているのは、
わたしは、男を喜ばせる為に生きているわけじゃない、ということ。

純粋な子どもではなかったけれど、そのことからは目をそらすつもりはないから。

柚葉
忍者ブログ [PR]