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粉々に壊れたココロを拾い集める女たちの本音blog
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柚葉&焔
性別:
女性
職業:
社会人で女
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妄想
自己紹介:
濃い人生だねと言われること多し。実は、平凡・平和をこよなく愛する、怯えた子どもであることに気付き、血を吐きながら生きるふたり。
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「好きにすればいいよ」

とわたしの周りの人は言う。
私の場合は、何かの予定が重なってしまった場合、どちらを選べばよいのかわからず、なかなか決められなくてぐずぐずしているとき、などによく言われる。
世間では、先に約束したほうを優先する、とかいろいろ暗黙の掟があるらしいのだが、後から入った予定のほうが魅力的であったりした場合、優柔不断になってしまう。しかし、自分の意思よりどうすれば他人と(誘ってくれた人)余計な摩擦を起こさないで済むか、をまず考える癖がついてしまった。

まぁ何をどうしようと私は人をイライラさせてしまう、というのに変わりはないが(笑)

2週間前から職場の人に誘われていたイベント、
色んなジャンルのアーティストの作品を集めた展覧会が開かれることになっている。
私が行ってみたいと思ったのは、参加アーティストのうちの1人、ある写真家の作品に興味を持ったからだった。
誘ってくれた職場の人は、ちょくちょく色んな場に行こうと言ってくれる。が、2人きりだときっとお互い間が持たなくて辛いだろうな、と思って2人きりの誘いはずっと断っていた。
引きこもりの私が、今回展覧会に行くことに決めたのは、自分が車を運転して、職場の仲間数人を乗せていくということになったからだ。他人の運転で、男性と車内に2人きりだとパニック発作を起こす可能性大だが、自分の車で、自分で運転し、ほかの人も一緒ならそれほど心配はない。

で、よく呑みにいく男ともだちから、あるライブに行こう!と誘いがあった。
地方では珍しい、ラテンダンスのライブ、しかも安い。
行きたい、でも、展覧会と同じ日で、展覧会が催される会場からはライブ会場まで車で一時間以上はかかる。いや、週末だし、天候によって国道が渋滞すればもっと時間がかかる可能性もある。
他人を自分の車に乗せて遠出するのだから、いつものような荒っぽい運転はできない。

よくばりな私は、男ともだちにある提案をした。

「ライブ会場で待ち合わせしよう。チケット代金は先に払っておく。もしライブ開始に間に合わなかったらあきらめるけど、なんとか頑張って早く戻れるようにするから」


男ともだちは、なんだかわからないけど不機嫌になった。

「なんか・・・デートの掛け持ちされるみたいでいやだ・・。その日予定があるなら予定があるからムリだといわれたほうが良いのに・・・。俺はお前が喜ぶ顔が見たくてライブに誘ったのに」

はぁ・・・・・
でも、両方見たいんだからしょうがないんじゃないの?
と思う私がいけないんでしょうか?
少々ハードでも無理してでも、見たいと思うくらいどちらも私にとっては魅力的なイベントなんですが。


わたしたちただの呑みともだちで、特別な関係じゃないよね?
一緒にライブ見るとデートなの?まぁそのへんはどうでもいいけど、
展覧会に行くのはあきらかにデートじゃないし、職場の同僚と数人だし。

と言えばよかったのだろうけど、言い訳する義理もないかと思い、めんどくさくて黙っていた。
しかし、不愉快な気分が顔に出ていたようだ。

「そういう困ったような顔しないでくれよ、俺が悪いやつみたいじゃん」
「もう、好きにしていいよ」

困ったちゃん顔はうまれつきである。

「はぁ・・ごめん、じゃあ今回はあきらめるよ」

と私がいうと、

「なんでそうなるんだよ!あやまる必要ないのにあやまるなよ!」

とさらに不機嫌になる。

こういうわけのわからない不機嫌には、私は対応できないので、困る。
人間困ったときは困った顔になるのは仕方ないのではないか?

またいつものようにめんどくさくなり、わたしは何も言い返さなかった。


「もうどっちでも好きにすればいい」


と、最後にまた捨て台詞のように友人は言った。
うそをついている人は、こういうとき「矛盾したことを言っている」自覚がないのだなあと思った。


「お前の好きにすればいい」

という、親や元夫の言葉にだまされ、自分の意思に従った結果、幽体離脱状態がしばらく抜けないほどひどい目に繰り返し遭っていたのに、また同じようなことを言われているということは、相当に学習能力のない女だということか・・。

投稿者:柚葉


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無理をしたようだ。

体験記、書かない方がいいのかも知れぬ。
まだわからん。

が、確実に言えることは、
いま、あたしの精神状態がおかしいことだ。

犯罪者データベースにずっとアクセスし続けているなんておかしい、やばい。
やばい。

リセットボタン。

・・・は、ないんだった。

とりあえず、酒かっくらって寝るか。
よくわからん。

よくわからん感情に、
感情というか、泥っつーか、マグマっつーか、わからん異物に悩まされている。


自分から、何かを求めることがわからない。

人は幸せになりたいと思いながら生きているらしいよ。


あたしはさ、
生き抜きたいと思いながら、生きているよ。
生きていることがベーシックな感覚だなんて、わかるわけないよ。


まぁ、それはいいことだよね。羨ましい。
そういった感覚を持っている人がマジョリティーなのはいいことだ。単純にうれしい。


でも、あたしは、そうじゃない。

ターミネーターなところとか、
感情のわからないところとか、
欲望の薄いところとか、
自分のために生きるという意味のわからないところとか、
治さないといけないなー。

治るかなー。
命が終わるまでの間に。

気が遠くなる。
そういう気持ちは、良くないものなのだろうか?

たぶん、どす黒い気持ちを、心の中のどこかにずっと抱えて生きてきたのだろうけど、その「気持ち」を認識することを知らずに過ごしてきてしまったので、なんとなくそういう感情は「後ろめたい」ような感じがするのかもしれない。

そのような感情は、生きていく上では不要だと思っていたしまた、不利なものだと思っていた。

私は、簡単に人を殺せるくらいの激しい憎悪や歪んだ感情を持っている。
そのことを認識し始めてから、なんとも表現しがたい「感情」に振り回され、制御できずに色んな方法で吐き出してきた。

私の中には、ヘドロが溜まり、畑の肥やしにもならない汚物が渦巻いている。
その汚物をうまく処理できないので、他人にも撒き散らしてしまう。
無意識なのかどうかは怪しいが(感情をまだ認識できないときが多いので)、汚物を吐き散らし、他人にも負のオーラみたいなものをぶっかけている、ということにうすうす気付きだしたかもしれない。
なるべく人と関わることを避けるようになった。

汚物を撒き散らしてもかまわない人間なんていないのかもしれないが、私を『女=セックス奴隷』としか見ないであろうと思われる男に対しては、遠慮なくブチまけて吐き散らしてきた。
私の吐き散らしたヘドロに掴まった哀れな男たち・・・の何人かは、精神を病んだ。
勝手に勘違いして、勝手に巻き込まれて、自爆したんじゃん(笑)

としか思えないからだ。
成人している以上、全ての責任は我が身にあるだろう。


守るべきものもなにもない私は、自分の身体を投げ出すことに違和感も恐れも感じない。
何も持たない人間とは怖いものだ。

「寂しくないのか?」

と、最近やたらうるさい男がひとりいるが、私の感じる寂しさ(飢餓感)のようなもの、を理解できるわけではないだろうから、まだ放置している。あまりかまわないほうがいいよ、とは言っておいた。

精神にも肉体にも痛みを認識できるようになってからの私は、あちこちガタガタ。
毎日、普通に過ごしているつもりでも、知らないうちに血が出ていたり、熱が出ていたり、呼吸困難になってみたりする。

もしかして、これが「人間である」証なのか?
人間であり続ける、ってこんなにも辛いものだったんだ。

投稿者:柚葉





人間関係の築き方。

最近思ったのだけれど、子どものと大人のそれとは違うのよ。
(おそっ!)

それでもって、あたしは人間関係を築くことを覚えずにかっ飛ばして表面だけ撫でてきたので、今さら覚えるとしたら、子どもの人間関係からなのよ。
仲良しさんになりたい人に近づいたり、意地悪しちゃったり、からんじゃったり、いじけたり。
うがーっと思うほどばっかみたいだけど、そういう順序を経てしか、無理なもんは無理なのよ。

私はとにかく、私を悪戯に刺激したり、侵入してこない人と仲良くしたい。
「あんしーん♪」ってことを日常の人間関係で感じてみたい。

だからそれには周りの人の理解とお手伝いがいるのですよ。
あたしの見かけはすっかり大人なんで。
しかも小憎たらしい部類に属する大人なんで。

うーん。
いろいろ複雑な思いが交錯するけれど、子どものキモチで、人間関係を学ばせていただきます。

※明るく書くときほど、内心は参っている。

-焔-
男の喜ぶ顔を見るのが好きだった。

妙な満足感を得られた。

私は、セックスという手段でしか男を喜ばすことができないので、そのテクニックを磨くため、色んな男と関係を持ち、試行錯誤してきた。

人間の性感帯はそれぞれ違う。
言葉で喜ぶ男も多い。
男の脳みその中にも、女の部分があって、その女の部分も可愛がることができる男はセクシーな男が多いなぁ・・・と思った。

素直に感じること
感じたことを素直に表現すること

無防備な状態に私はセックスアピールを感じる。

私を無防備な状態に置くことができる男はいなかった。
無防備な状態でいて、いつ殺されるかわからないからだ。
そういう状況でのセックスしか知らない、情けない女だった。

どこをどうすれば相手が喜び、
耳元でなんと囁けば男が感じるのか、
それを常に考えていなくてはならないと思っていたから。



私は今、私自身が気持ちいいと感じることを探っている。

仕事が終わった後、キンキンに冷えたビールを飲み干す瞬間。
太陽に晒されたフカフカの布団に倒れこみ、子供たちを両脇に抱えて眠る夜。
弱っているとき、おんなともだちに深夜までグチをこぼす。

行動のひとつひとつ、心の持ち方さえも自由にならなかった支配されきった生活の中では決して得られなかったものを、私は今、自分の手にしている。

その喜びに打ち震えているのだ。

足元がグラグラしていて、常に足元を確認しながらしか歩けない。
そんな日常でも、今生きていることを罪悪に感じなくても良い、という幸せがある。

気付かないうちに色んなものを手に入れていることを知った。

泣き喚き暴れてどうしようもない小さな私も、一緒にいる。
ずっといる、いっしょに・・・



幸せに慣れていないため、知恵熱を出している日曜日の呟き(笑)

投稿者:柚葉

今日は自分の立ち位置を確認するために文章を書いておくことにする。
面倒なことだが、これを定期的にしないと混乱が広がりいろいろと不都合が出る。内部に毒が流れている人間は、こうして現状把握をせずに毒を外部に漏らさずにいることができない。←愚痴

 

「飢え」という単語は、私という人間を表現するキーワードの一つだ。
ひりひりした乾き、焦り。怒涛のように押し寄せる衝動。自分の思い通りにいかないことへの怒りと暴力性。
行き場を持たない黒い気持ちが、この「飢え」によってもたらされる。

私と、私の友人知人たちが持つ最大の「飢え」は、「原初の愛」だった。
産まれおち、当然のように抱きあげられ、親という人たちに継続していつくしまれる。それがなかった。捨てられたり、放られたり、虐待された。とにかく人間として迎えられなかった。

「飢え」というのは、生命の危機である。生命を維持することは、生き物の本能だ。つまり「飢え」という状況は、トラウマになりえる。
住むところがない、食べるものがない、衛生状態が悪い。
そして状況を許しているその根幹に、周囲がこちらに無関心であることがある。救いがない。

「飢え」を抱えたままだと、視野が狭くなり判断を誤る。
そんな自分の経験を踏まえて、子どもたちに安心で安全な養育環境を与えたいと願ってきた。そういう活動をしたいと思った。しかし、途中で気づく。

社会が、私たちの基本的な生活を保障することを放棄しはじめている、と。

私がこの職場にとどまっていることの意味、成人女性に寄り添うグループを立ち上げた意味はそこにある。「飢え」は、今格段に広く蔓延している。大人、が動かないと、現状を変えられないからだ。

安心して、安全に暮らしていくことは、当然の権利だ。
それは、赤ん坊が空腹を満たして眠りに落ちる安心感を想起させる。「満ちている」ということは、心に平安を生じさせる。そしてゆっくりと正確な判断を下すことができる。

日々の生活に怯え、先の見えない不安定さの中で暮らすことは、心と体を蝕む。
それしか考えられなくなるから、思考力も奪う。空腹や、明日もわからぬ生活は、ぶつける先を吟味できない激しく性急な怒りとなる。周りのより影響を受けやすいもの、弱い立場の者が、もろにかぶりやすくなる。

私たちのいる社会は、安心ができるものではない。
私たちは、遺棄されている。一部の人を除いて、遺棄されている。
個別の幸せを考えたとき、いつもぶつかる壁があるのは、そのためだ。

私ねぇ・・・もしかしたら、すごくすごーーーーく寂しかったのかもしれない・・



って、最近思ったの。
寂しいって感じる心、なんて持ち合わせてないなんてのは思いあがりだった。

私は、誰よりも孤独に耐えられない人間だった。
もうそれを認めなくちゃいけないね。
認めた上で、「寂しかったね、辛かったね、痛かったね」って、
どんなにもがいて足掻いても、手に入れることのかなわなかったいろんなものを指くわえてみてた小さな小さな私を、抱きしめてあげなきゃいけないのよ。


私は、餓鬼

手っ取り早いぬくもりを与えてくれる人間には、自尊心のカケラもなくすがりつく餓鬼

そのために使う手段は、性行為で御奉仕。それ以外の手段は、何も知らない


「カタワ」


私、壊れているもの。
傷つけられても、生ゴミ以下の扱いしかされなくても、いつもいつも飢えきっているから

ついさっきまで他の女の穴につっこんでた男のものを平気で口にする女だった。
性的行為でしか他人を喜ばせられない、わたし。


寂しくて切なくて、何も求めちゃいけないって言い聞かせながらも
求めてやまない小さな私が今夜は暴れて、手が付けられないの。


私はわたしを救えない

こんな切ない夜もたまにはある


投稿者:柚葉


「ねぇ。あんたが傷つくってどんな感じ?」

あたしは昔っから傷つかないと思われてきた。


みんな知ってるとは思うけど、まとまりのない集団をどうにかしたいって思ったら、誰か生贄を差し出すといいのよ。共通の敵とか、おもちゃとかがあれば、みんな一致団結して攻撃したり遊んだりすんのよ。

だからねー。よく、あたしはそうされてきたわ。
「友達」って称する人がいじめの標的になれば、その子にだまされて差し出されてもきたね。それって裏切りとかっていうようね。ふーん。じゃ、次からは面倒だから、自分からやられにいけばいいんでしょ?すり寄ってあたしの身柄をキープしようとしなくったって、お望みどおりに動いてあげるわよ。


「あんたは傷つかないのね。うらやましい」

あっはは!
そのセリフってどんなギャグなの!

自分であたしを放り込んどいて、嫉妬ですか!あんた、自分を傷つかないように防御しまくっといて、さらに傷つかない強さまでほしいってか!どんだけ強欲なのさ。
強さは、自分の血を流さずに手にはいりゃしないよ!


羨ましがるあんたに教えてあげようか。
あたしは傷つかないって?
馬鹿言っちゃいけないよ。

あたしだって生身の人間さ。えぐられりゃ痛いし、血も出る。
じゃあなんで涼しい顔をしてるのかって?
我慢してるんだよ。
それも度重なって、痛覚がまひしてんのさ。もっと進んで、自分の心が体から「べりっ」と剥がれるのさ。

生きていながら、生きていない感覚がわかるかい?
自分の意思も、記憶も、感覚も持てずに、ただ時間の大河の中を浮遊し流されていくだけの空しさを知ってるかい?

あたしがあんたらが言うところの「強さ」と引き換えにしたものがこれさ。
羨ましいかい?


あたしは今、必死に「ココロを体を剥がさずに生きる」訓練をしているところさ。

※心がざわざわするから吐き出してみた。ずいぶん昔の心象風景を文章化※
homura

うーん。性虐待を受けた女がBlog開くと、げっひーんなTBが来るねぇ。そうでなくても来るんだろうけど、にやにやしながら涎出して読んでいるやつがいるんなら、あー、キモイ。(ごあいさつ)
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昔から、骨や血について、よく考える子どもだった。
(きしょいね、ちょっと)


フラッシュバックで、刃物が肌に食い込む感触をよみがえらせて、反射的に肌を粟立たせる人間がどれだけいるか。
吸い込まれそうな感覚、しびれて立っていられない感覚が襲う。でも、圧倒的な恐怖も同時に感じているんだ。

私はレイプ時の記憶がない。でも、映像・感覚はいつだって突然私を襲う。
ははは・・・。刃物って、一体どんなことされたのかしら?(笑)

調子が悪い時の台所仕事って本当に大変だ。そんなこと言ってられないけど。

性的な空気の中で、それを要求されて育つと、意思に反してそれなりの肉の形になる。自分についた肉が、脂肪が、嫌いだった。「そんなのは、あたしじゃない!」っていつも思っていた。
でも、それを利用して喜ばせるすべを身につけ、活用した。

いろんなことがあった。
大人になって、自分の生きたいように、囚われないで生きると決めてから、数年の間にいろいろあった。 

闘い終わって、今、鏡を見れば、

そこには骨の形が映っている。

肉の削げた、ただの骨の私。
その中には赤い血が流れている。


以前と変わらないようでいて、
確かに違う。

もう、今の人間関係では、その肉の形はいらないということ。
だから、自然と削げ落ちた。
私は、私のまま受け入れられる場に来たということ。


なにもない、骨の私を、抱きしめる。
ここから、スタート。 
 

homura

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