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粉々に壊れたココロを拾い集める女たちの本音blog
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柚葉&焔
性別:
女性
職業:
社会人で女
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妄想
自己紹介:
濃い人生だねと言われること多し。実は、平凡・平和をこよなく愛する、怯えた子どもであることに気付き、血を吐きながら生きるふたり。
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世界は汚いものだけで作られているわけじゃない。
でも、きれいなだけでもない。
人間もそうだ。

どんなに素敵な人の内面にも、
どんなに素晴らしいことをしている人の内面にも、
どす黒いものはある。

そういうものなんだ。


私は溝に生まれた。
溝の水を飲み、溝の中を住み家として生きた。
そこから見える景色は、悲しいくらいに、汚いものだった。
きれいなものを見たくて、
私は自分の目を潰すことにした。
ヘドロがまといつく感覚は、とても気持ち悪かった。
だから私は自分の皮膚を焼いてしまった。

こうやって、私は世界を自分から積極的にあきらめていった。
どんどん私は孤独になっていった。自分で自分の存在を見失うほど、私は何ものからも切り離され、ついには自分からも切り捨てられた。
溝に生まれ、そこから動けなかった私は、溝から見える景色と溝に住む生き物しか知らなかった。そこが私の世界のすべてだった。

4年半前はじめて溝から出た私は、世界はきれいで汚いのだと知った。二つの面を、内包しているのだと、知った。
そして、人も、その小さな宇宙の中に、二つの面を隠しているのだと知った。

溝の生き物は、そのことに衝撃を受けた。知っていたものは、世界の一部でしかなかった。


きれいごとばかりを言う人が嫌いだった。
でも、そのきれいな言葉にどうしようもなく引き寄せられて酔っぱらってしまうことも確かだった。
溝の中で、どれだけ美しいものに飢えていたのかを思い知って、心がぎゅうっと締め付けられた。

人生に対する能天気な甘さに反吐がでた。
でも、人生の僥倖を信じられるその心の素直さにめまいを起こすほどあこがれた。
溝の中で、どれだけ心を荒ませて、疑うことばかりを覚えただろう。

信念より、助けたい他人より、自分の命の方が大切だと言い切る人を憎んだ。
でも、自分の命が大事だといえるその正直さや無防備さを、歯がみするほど羨んだ。

守りたかった自分の心さえ、守れなかった。そんな生を生きるしかなかった生き物が、ここにいるのに。

 

汚してしまいたいと、
世界を黒く塗りつぶしたいと、
願わなかったわけがない。

私は、溝にいる間、人間になることを許されなかったのだ。


やさしい言葉は、
温かい励ましは、
友人という言葉は、
暖かい陽の光のような友愛は、
私を焼き切るレーザー光線くらい、激しく熱く鋭かった。
ぬくまるどころか、蒸発してしまう。

私は、そういった世界も、感情も、関係性も、知らずにいたのだから。溝の生き物だったのだから。


当事者の背中を必死に押す支援者がいる。
社会に、世界に、自分の言葉を吐きだせ、表現しろと。

社会を変えたいなら、表現をしっかりしないと始まらないのはわかる。
でも、その前に、『ただ、生きる』それだけに命も心も精いっぱい使い尽くしている生き物もいると知ってもらえたら。
社会への怒りは、まだわからないの。
自分の命が大事だと、まだ知らないの。

繭の中でまださなぎのように、自分を眠らせている。
でも、中では化学変化が起こっているの。

信じて。
待って。

溝の中の生き物だった、私からのお願いだ。

homura

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冒頭からちょっと狙った微妙な一言。

女でも、皮はむけていたいわけですよ。はい。


私は活動を通して出会う人や出来事に、日々学ばせていただいています。もう、本当にどんなに感謝しても足りないくらい、大切なことを学ばせてもらっています。

たった一つの大切なその人の人生の岐路に立ち合わせていただくことが多くあります。
大事な思い、
一世一代の覚悟、
そんなことをお聞かせいただけることもあります。
人生の悲しみ、絶望。そしてささやかだけれどようやく見つけたその人だけの喜び。
そんなものを教えていただけることもあります。
笑顔も、
無表情も、
苦渋に満ちた顔も、
悔しさにむせぶ顔も、
どれもその人の『生』の表情です。
それを正面から見せていただけることは、本当に光栄なことです。

私はいつも自分の弱さ、至らなさを考えます。
私のウィークポイントは、『怒りより諦めが先に立つ』ことです。粘らずすぐにあきらめる。それは決定的な負けの要因です。

どんなに傷つこうが、泥を飲もうが、諦めたらおしまいなんです。それどころかときには泥を飲んでもしがみつく様を見せつけるくらいが必要な時もあるんです。理性では分かっています。
でも、諦めて自己完結して閉じようとしがちです。その弱さは私が大人になり切れていない所に端を発するものだと思っています。
子どものころは徹底的に受け身でした。ですから私にできることは自分の人生を『こんなものだ』と決めつけて諦めることだけでした。でも、いつの間にか私は大人になったのです。大人は子供と違って、受け身ばかりでいる必要はなく、自分から動き、訴えることができるのです。いやなものを嫌だといえる。おかしいと感じたことをおかしいといえる。
そんな力がある、変えていく力があるということなのです。

子どもは溢れるほどの愛情という名のクッションに守られつつ、何度も失敗しながら大人へと成熟していくものです。愛を受けられないものは、たった一度の失敗が命取りになりかねないのでそれを恐れて自立への挑戦ができません。命がけの挑戦はただの自棄になってしまいがちで、身になっていないことが多いです。
でも、私は大人にならないといけません。

自分の活動に胸がはれません。
人生に胸がはれません。

『いつまでも娘じゃありませんよ。もうあなたは大人です。』
このセリフはある当事者が別の支援者に言われた言葉ですが、私の胸に深く突き刺さっているます。

人の隣に添わせていただけることに心から敬意を払っていきたいならば、私はまず自分の弱さから目を背けず、黙って努力を続けることだと思っています。
 

怖いと感じることなんてなかった。

自分で突き刺した刃物の先から流れる血を、「あぁ、私の血も赤いんだ」ってぼんやり思いながら見てた。

外科手術を受けるとき、麻酔がなくても、恐怖感も痛みも解らなかった。

さっきまで私を「かわいい」といっていた男が豹変したって、物心ついたときには、とっさに意識を飛ばすことができたから、恐怖を感じることも、痛みを感じることもなかった。

今まで築き上げてきたものが一瞬にしてなくなる恐怖、知っているようで知らなかった。

最初から何も持たない人間は、何かを失う恐怖感を知らない。

誰かを必要としたことのない人間は、目の前から人が急にいなくなることに恐怖や悲しさを感じない。

痛みが解らないから、自分以外のイキモノの痛みも理解できない。

脳みそで考えた通りに行動すれば、ムダもなくていいのにな、なんでみんな泣いたり笑ったり怒ったりめんどくさいことすんのかな?とつい最近まで思っていた。脳みそで考えた通りに、人間は動けるものだと自分がそうだから他人もそうだと真剣に思ってた。

色々なことに気付いてしまった今、怖いと感じることが多く出てきた。

「怖い」

と感じる切ない「気持ち」を自覚したとき、心臓が痛くなった。

刃物を使わなくても、人間って痛みを感じることができるんだ、と知った。

投稿者:柚葉
人を認識しない、無関心であることはたびたび指摘されます。 
それが自分ができる最大の心の防御だった、そんな過去に生きました。


そのたび、「ええ??あたしなんぞとマジで仲良くなりたがっている人がいる!うわっ、何だこいつ、何考えてんの?怖っ!」と思ってしまう(笑)。
相手が異性愛者の女性の場合は最近素直に「うれし(はあと)」と感激しておつきあいを深めたいと思えるようになってきました。(あたし的に大進歩です!)

私は幼少期から性虐待をバリバリ受けてきて、しぶとくも生き抜いてきた猛者でございます。ちょっとやそっとのことじゃ動じません。痛覚なんかめちゃ麻痺しています。
しかも加害者が肉親だったもので、基本的な信頼関係なんか全く築けず育っちゃいました。人間は、自分のためなら何でも誰でも利用し搾りつくす生き物だと実感しつつ育ちました。

だから自分が相手の性的対象外であるとわかると安心できるのです。そんな世界の中で生きてきたものだから。
反対に、異性愛者の男性は即NGで、どんなに仲良く談笑しているように見えても、相手を認識して接してはいません。壁に向かって演技しているかのごとく、相手のことは完全に見ていないのです。

いろいろごめんなさい。 



【基礎になる信頼関係を結んだ実績】

かなり大事なものらしいのですが、私にはありません。裏切らない関係というのが、よくわからないのです。裏切りが通常だと思うので、裏切られても特に何も思いません。
だからむしろ私はなるべく人を裏切らないように気をつけて生きたいなと思います。人間の健全な発達過程に大事なものを実感を伴って学ぶためにも。
かなり手探りで、時々叫びそうになります。だってわっかんねーんだもん!
0とは、こういうことです。

でも、少しずつ変わっていけたらなと思います。回り道をしながら、少しずつ、人間の良心や理性を信じていけるようになればと思います。それ以前に自分をもっと信頼できる人間に鍛えていかなければとも思っています。

自分の最大の敵も自分ですが、究極の自分の味方もまた、自分ですもの。


生きてるんだから、過去から自分を解き放って、未来に開きたい

homura
世間一般から見て、多分かわいそうだと言われている子どもたちのことを、テレビで取り上げたりするのがときどきありますね。私は、ものすごく違和感を持ってしまうのだが・・・

先週だったかな?もそういった番組やってましたね。
嫌な感じを受けたのは、東海地方のお寺の住職のおっさんが、ネグレクト等の虐待を受けた子どもたちを預かっているというもので、このおっさんの対処の仕方に、激しい嫌悪感を持った。

家から逃げてきた子どもに、虐待親に合わせるセッティングをする・・・
これは人としてどうなの?サポートでもなんでもないじゃん?と思ったのは私だけだろうか?

また、この住職のおっさんは、

「どんな親でも、子どものことは心配してるんだ」

というような意味のことを言っていたけど、あほじゃないかと思う。

だって今も昔も、子どもを愛せない親も、愛そうとすらしない親も、数え切れないくらいいるじゃない?

子殺しだって昔から普通にあるし、平気で子どもを捨て切ってしまう親だって現実には吐いて捨てるほどいるじゃない?

愛したくても愛せなくて苦しんでいる親もいるかもしれないが、自己愛と支配欲に取り付かれて愛そうという努力すらしない親とは雲泥の差があるだろうし。

虐待され続けた子どもは、自分が生きていることにさえ罪悪感を抱きながら生きなくちゃいけない。
そんな血を流しながらリアルを生きている子どもに、虐待した親に会わせるなんて、このおっさんはいったいどういう神経しているんだろう・・・???

子どものころ、私は家から逃れたくて、逃れるためには、非行に走るしかないと判断した。
そして、虞犯少年として、児童養護施設に入所したが、親の意向ということで、数ヶ月で戻されてしまった。
その後、数年間非行を繰り返したが、鑑別所どまりで少年院までは行けなかった。
なんだかあほらしくなって、私は非行少女を必死に演じるのをやめた。

施設の職員も、鑑別所の教官も、私を保護した警察官も、皆口を揃えていった。

「お前はあんな立派な親御さんがいるのだから、帰る家があることに感謝しなくてはな」

どこがどういうふうに私の親が立派なのかさっぱり今でも解らないが、私は幼いながらも「全てをあきらめる」以外生きる手段はないんだ、ととことん感じた。

上記のようなおっさんのところに預けられた子どもたちは、また深い絶望の淵に追い込まれてしまうような気がした。これは、大人と言う立場を利用した、自己満足のはけ口でしかないと思う。
傷を負った子どもは、何も信じられなくて、大人を試すための行為を繰り返す。
それが非行であったり、甘えであったりさまざまだろうが、子どもと向き合う覚悟があるのなら、試されてナンボでしょ。中途半端な自己満足のためにしか子どもに向き合ってないなぁ、というのが見え見えなところに違和感を持ったのだ。

まさか、この番組を見て、感動して泣いたりするような人・・いないよね??
いないと思いたい・・。



投稿者:柚葉
私は自分と同じような傷を持つ人たちと深い話をするのが好きだ。
言語化できないカオスそのものの世界観に自分から浸かりに行く。そこから新たな自己を本人が生み出す様に遭遇したときは、あまりの感動に、知らず頭を垂れ続けてしまう。 

不安定な人に近付けば、時に滅多刺しにされるくらいの精神的苦痛を負う。もともと似たような道を辿っている自分なら、しょっちゅう精神的に引きずられるし、境界線を見失いがちだ。しかしそこで踏み止どまり自己を保つことで、私は相手と自分双方を映す鏡になれる。
たがいを高めあえる可能性が発生する。 


だから、血だらけになるくらい、どうということはない。 

大人になってしまってから、いまさら、足りない、もしくは間違っているものを学びあえる奇跡は、何物にもかえがたいよろこびだ。 

私の抱える消えない傷を見ることができない人が多数派であって欲しいと願う気持ちは変わらない。
 でも正直なところ、そんな多数派の人たちと付き合うのはだいぶしんどい。彼らと交流すれば、自分の傷がいやが上にも浮き出てジクジクと疼く。
私のこの状態をわかって欲しいとはいえない。ただの甘えを他人が受けいれる義理はない。そのくせ受け入れられたいと、押し付けがましくも叫ぶ自我がある。
 彼らと付き合うことで、双方に何らかのメリットがあるかは不明である。むしろ現時点ではリスクばかりが露呈している。ただ傷つけ合うだけなら不毛だし、私は自分のしていることをただの八つ当たりに思うし、果てには自分の傷も命も許せなくなってくる。自分を滅ぼしたくなる。

 生きるだけで精一杯。それこそが生々しい私のリアル。

すべての優先順位は、まず、そこだ。 

私はさほど強くはない。力を買い被られての善意の助言には、どうして良いかわからなくなる。

 対等な友人?癒し?
(なぜかマイノリティー同士のは傷の舐め合いに見えるみたいだ) 

あたしに必要なのは、
その前に、今日も死なずに生き抜くことだ。
偶然古い友だちに会ったら思い出した。もうずっと前のこと。

なんだか知らないけど、数少ない私の友だちはすごく優しい。
なんで私なんかに優しくするのか?を聞いてみた。

「柚葉のこと好きだからだよ。誰だって自分にとって大切な人間には優しくしたいでしょ。他に理由いる?」

へぇ~~~~~と思った。
そんなシンプルなものでいいんだ?人間関係って。
好きとか嫌いとか、そういう理由で、気持ちのままに行動しても良いんだ?と不思議に思った。

自分は他人に優しくしてもらうような価値のない人間だから、とつい卑屈な、申し訳ない気持ちになってしまったりするのだけど、友だちは、私が「申し訳ない、ごめんね」というと怒る。(汗)

「謝らないでいいことで謝るなって言ってるでしょ!そういうときは、ありがとう!って言うのよ」

人として生まれ、人として扱われて育った人間なら、自然に身に付けていくであろうと思われるようなことが、私にはできない。というか、理解に苦しむことが多い。

次女を出産した12年前、若い頃から患っていた婦人科疾患がいよいよもうダメ!というところまで悪化してしまい、ある日倒れて救急搬送されるハメになってしまった。
長女はまだ5歳、次女は生後数ヶ月の乳飲み子だった。
救急隊員の方が、不安と恐怖で泣き喚くふたりの子どもを抱っこしながら忙しそうに様々な手配をするのを目にして、私はいけないと思いながらも、ほっとしたのか、救急車の中で意識が遠くなるのを感じていた。

気がついたときは、総合病院の救急処置室に寝かされていて、長女は泣きつかれて眠ってしまい、次女は母乳を欲しがって泣きやまず、看護師さんが抱いて必死にあやしていた。

しまった!と、飛び起きようとしたが、どうしても身体が動かない。
どうしよう、おっぱいの時間が過ぎてるのに・・・
この子は哺乳瓶も粉ミルクも一切受け付けない子なのに・・・

「柚葉さん、あなたのおなかの中では今大変なことが起こっています。もう手術しましょう。幼いお子さんがふたりもいながら、こんなになるまで病気を放置するとは母親失格ですよ」

穏やかな口調だったが、でも、厳しく、毅然と、医師に宣告された。
私は、医師の言うとおり手術を受けることを決め、観念した。

「最後に・・・もう一度だけ母乳をあげてもいいでしょうか?」

「いいですよ、術後は強い薬を使うので、母乳はもうあげられなくなると思います。思う存分飲ませてあげてください」

看護師の方の力を借りて、泣きすぎてひきつけを起こしそうなくらいにしゃくりあげている次女に、なんとか母乳を飲ませることができた。次女は、何時間も泣き続けていたため、声も出せないような状態で、ほんの少し母乳を飲んだら、疲れて眠ってしまった。小さな次女の片手は、私のもう片方の乳房をしっかり掴んでいた。

「この子に母乳をあげられるのはもう最後なんだ・・」

と思ったら、今までに感じたことのないような気持ちになったのを少し覚えている。
救急処置室のベッドの上で、何十分そうして次女を抱いていたのだろうか?
さっきの医師がいつの間にか戻ってきて、静かに言った。

「手術室、準備が出来ましたから行きますよ」

「はい、お願いします」

「ご主人は、手術同意書にサインだけして帰りましたから」

「そうですか、お手数かけてすみません」

しがみついた小さな次女の手をそっと離して、看護師さんが抱き上げた。
次女は、私の身体から離された瞬間目を覚まし、激しく泣き出した。

「ママ、ちょっと修理してくるね」

そういい残して、暗い長い廊下をストレッチャーで手術室へ向かった。
思いがけずあっという間に麻酔は効き、あっけなくほんの数時間で手術は終了し、私は26歳で二度と妊娠も出産もできない身体になった。

次に目が覚めると、真っ赤な目をした女ともだちが次女を抱いてベッドの横に立っていて、長女が不安そうに私の手を握っていた。随分色々な夢を見て、長く眠っていたような気がしたが、実際には9時間くらいしか経っていなかった。

「ママ・・・どこにも行かないよね・・・?」

長女に聞かれて、私には備わっていないと思った母性のようなものが、生まれて初めてきゅーーんと疼いた。私だけを必要とし、私だけを求める小さなこの子たちを残して死ぬわけにはいかないんだ、と初めて自覚した。

やがて(元)夫が病室にやってきた。

「お前は母親のくせに、こんなめんどうなことを起こしやがって!このアホが!ボケ!死にぞこない!俺様が一時間にいくら稼ぐのか知っているのか!健康管理もできない貴様は人間のくずだ!!!」

と、いつもどおり怒鳴った。
入院中家事も仕事もできないし、もちろんセックス奴隷としての役目も果たすことができない。そのことで不自由ををかけることに対して、そのときは心底申し訳ないと思ったので、起き上がることはできないけれど、(元)夫に土下座する勢いで謝った。

「ごめんなさい・・。今後二度と迷惑はかけませんので許してください」

健康管理もできないクズ、と言われたら、そうだよなぁ・・その通りだよなぁ・・・死ねれば良かったよなぁ・・と、自分が生きていることさえも罪悪に感じてしまい、何日も眠れない夜が続いた。
(元)夫は、退院するまでの数日間、宣言したとおり一切病室に顔を見せることはなかったので、ほっとした。(元)夫が同じ屋根の下にいない、ということは、セックス奴隷としての役目を、たった数日間だけとはいえこなさなくても良い、ということだ。
身内も誰もない私の病室には、1人の女ともだちが一日おきに来てくれて、子ども達のめんどうも見てくれていたので、本当にありがたかった。

「ほんとにごめんね・・きっと恩は返すからね」

私は、悪気もなく、その言葉を繰り返し口にした。

物心ついたときから、

「おまえのような人間は、命があるだけでも、常に周囲に感謝しなくてはいけないんだ」

ということを徹底的に叩き込まれて生きてきたので、

「人に何かをしていただいたときには、全力でお返しをしなくてはいけない」

と思い込んでいた。それが、当たり前のことだと思っていた。
が、友だちの考え方は違っていた。

「あんたがこんなにどうしようもなくなるまで何も相談してもらえなかったんだから・・・・・・私は・・・・なんだか情けないし、とても悲しいよ・・・・気が済むまでこうしていたいんだよ・・・」

女ともだちは、なんともいえない表情をして、ぽそりと呟いた。

あぁ・・・人を大切に思うって、人を愛するって、もしかしてこういうことを言うんだろうか?とぼんやり思った。友だちって、こういうものなんだ、と。私は、自分にとって大切だと宣言している人間のために、どこまでできるだろうか?とも思った。


投稿者:柚葉
柚葉、あたし思うんだけど、もともとあたしらは、根っこの部分でとっても似た感性をもった人間なんだ。


囲われてたくせに、感情を相手に向けたことなんてあった?
あたしら、服従したこと、態度以外であった?
ぜーんぶ、格好だけ、ごっこ遊びに上手に付き合ってあげただけさ。
高級ってか、本格的なイメクラって感じね。
あたしら仕込みが半端じゃないから、そこいらの女優よりか演技力は凄味が利いてる。


本当は自由を好んでいたんだ。
いつだって、心は、だれにも渡さなかったんだ。

だからさ、「奴隷状態」におかれたことはあったよ?
でも、「誰かに隷属」したことはなかったんだ。
いつだって、心は自由に空に飛ばしていたんだよ。空っぽの肉だけを動かしてね。

だから、あたしの言葉を、あんたは、聞こえた。
だから、あたしの姿を、あんたは見えた。

だから、あたしはあんたにだけは、通じるだろうと根拠もなく信じて声をかけた。
だから、あたしはあんたに会うのは必然だと受け入れた。

会えてうれしいよ。
生まれてくれて、生き延びてくれて、ありがとう。

大人の柚葉も、小さな柚葉も、いつも同時に、抱きしめていたい。

-homura-
私は、あまり好き嫌いがない。

なかった、というべきかも。

いつも色んな男に買われて飼われる人形だったので、そのたびに飼い主の好みに合わせて自在に変化する自分を、不思議に思ったことすらなかった。

いつのまにか、自分はなにが好きで、何が嫌いなのかもまったく自覚できなくなっていた。

「あんたは人間なんだよ。それを自覚しなきゃいけない」

そういってくれたおんなともだちがいなかったら、私は未だに凍りついた目をした無機質な奴隷人形のまま、ただ、息をしているだけの「モノ」だっただろう。

自由気ままな野良猫生活を始めてから、いろんなことに気付いた。

飼い主に与えられたケージの中でしか生きていけないと思っていたが、道端の雑草を食ってでも生きていくことができるんだ、ということや、飼い主の命令で好きでもなんでもない男にないフェロモン振り絞ってすがりつかなくてもよいということに、遅くなったが気付いてしまった。

私は、高級な霜降り牛肉より、安い赤身の豚肉が好き

よくわからないブランドもののバッグより、着古したジーンズをリフォームしたリュックがいい

携帯電話の音や、車のドアロックの音に怯えなくてもよい

トゲを抜かれ綺麗な花瓶に生けられた高価なバラよりも、道端の名も知らない花を摘んで部屋に飾りたい


おまえのような薄汚いノラは、誰も人間として認めない
大人しく俺だけの奴隷でいろ、と、今までの飼い主は皆私をケージに閉じ込めた。

外の世界を知ろうとすると、見知らぬ数人の男に、足腰が立たなくなるまでいたぶられた。

きれいな三日月の色も形もわからないほど、私の目はゆがんでいた。


おんなともだちと好きな食べ物の話をする、
夜更けまでセックスの話で盛り上がる、
たわいもないメールを送りあって、互いの生存確認をする。

一生手に入れることなどかなわないと思っていたことを、今、私はしている。

ねぇ、焔、あんたと過ごした短い時間は、まるで記憶にない母親に抱かれているようだったよ。
やわらかいガーゼのタオルケットに全身を包まれているようだった。


私は、私のこころの中で求めていただろうと思われることを、少しずつわかりはじめていると思う。

投稿者:柚葉
いま、精神のお薬を飲んでおります。
ちと、大分悪いらしくですね、量が多いです。

確かに1ヶ月程度で5キロ以上痩せましたし、顔色も白いっつーか青白いです。
で、増えたお薬が性ホルモンに直影響するやつなんですね。


性欲が消失しました。
アタクシ。


このあたしが、攻撃性とハンターであることが信条であったあたしが、「性欲消失」

ありえねぇ。
・・・・・・・・落ち込んでいます。

死ぬよりいいけどさ。

-焔-
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